教職敬遠され2

教職敬遠され2

 

「教師のバトン」というものがある。教員の良いところを伝えて、教職希望を増やそうという試みだったようだ。しかし、逆に教員のブラックな面がクローズアップされて、逆に志望者の数を減らしているという皮肉な結果になっている。

 

原点に立って考える

 なぜ教員になろうと思ったのか。40年前には給料とか勤務時間ということは考えなかった。一番心に残っていたのは、担任や教科の学習を教えてもらった先生たちである。「あの先生たちのようになりたい」というのが志望動機だった。

 

いい授業がしたい

 これは、どの教員も同じ気持ちだろう。その気持ちがあっても雑事に時間を取られてしまう。このことがストレスにつながる。免許更新制度も教員のニーズに合わせて研修の機会を与えてくれると言うなら意味がある。明日の授業に直結する内容だったらこれほど批判は出ない。

 

勤務時間だけが問題か?

 勤務時間が長いのは、今日に始まったわけではない。小学校勤務の時はそれ程でもなかったが、中学校に行けば10時を過ぎることや日曜日の午後しか休めないことも当たり前のことだった。行政が考える働き方改革と教員が求めている働き方とはずれている。仕事を時間で計ることは教員としてはそぐわない。

 新年度になると教科書が業者から運ばれてくる。入学式までにその送られてきた教科書の数を数え、それぞれの学級に分ける。さらに教育委員会に送られてきた教科書の数を報告する。さらに年度途中で転校があれば、どのような教科書を使っていたのか相手の学校に送らなければならない。この仕事を授業の合間を縫って教員が行うのである。

 

では、どうしたら良いのか

 私見を述べさせてもらう。とにかく仕事の整理をすること。教員でなければならない仕事なのか、教員でなくてもいい仕事なのか。先ほど述べた教科書事務などは教員がやる必要はない。その他欠席の統計や給食費の集金などは教員にとってストレスである。これらの仕事は教員免許の必要ないので、やってもらえるとかなりストレスがなくなる。