教員になって楽しかったこと

教員になって楽しかったこと

 

卒業式

 Twitterで教師のバトンを検索すると、本当に多くの教員がツイートしている。文科省の目論みとは逆に教員の辛いところ、酷い職場環境などの訴えが見られる。自分としても共感するところが多い。

 

教員を続けてきた理由

しかし、教員になって全てが辛かったわけではない。特に6年生の担任をし、卒業式を迎えるとそれまでの苦労がなかったかのような気持ちになる。これが40年近く教員を続けて来ることができた理由かもしれない。

 

教員として

卒業式当日は、子供たち以上に誇らしい気持ちになる。6年の担任は3度挨拶をする。卒業生、保護者、そして職員の前で行う。いろいろ問題はあったが、卒業式で一つの区切りになる。6年生以外はまだこれから学校で指導する機会もあるが、卒業生の場合これでこの子供達とも学校で会うことはなくなるし、指導することもなくなる。

 

 卒業式で子供たちが体育館に入ってしまうとそこからは子供たちだけで進めていかなければならない。別れの言葉や校歌は子供たちを見守ることしかできない。卒業式に向けての練習が思い出される。練習を始めた時には、だらだらしていて本当に卒業式ができるのか心配になる。しかし練習をすることで卒業に対する意識が高まっていく。(コロナのために十分な練習ができないのは仕方がないが、卒業に向けての心を作ることが難しい)

 

子供のためにできること

 卒業学年を担任していない時には、卒業式や一連の行事に対して「早く終わって欲しい」「面倒」などと思ってしまう。しかし卒業学年の担任をしている時には「思い出に残る卒業式にしてやりたい」と思う。中には前日から子供達全員に手紙を書いていてほとんど寝ていないという教員もいた。

 

なぜ教員はブラックなのか

 問題なのは、「教える」という行為だけでなく、部活、教育委員会への提出書類の作成、給食費の徴収。教員免許の更新といったことの時間が取られてしまっているからではないだろうか。