教員であり続けたわけ

教員であり続けたわけ

 

 教員になって40年近く経った。今までブラックだと言いながら、これだけ続けることができたのはどうしてだろうか。

 

子供の成長を間近で見ることができる

 子供の成長を身近に見ることができるのは、この職業以外考えられない。卒業式は子供達が本来の主役だが教員にとってもとても晴れがましい式でもある。感動することができる仕事もあまりないだろう。保護者を前にお礼の言葉を言う時に、言葉が詰まってしばらく何も言えなかったこともある。

部活動の指導についても、子供達が試合で勝つことができたり、良い結果を残したりすることが次へのモチベーションとなる。これが部活動がブラックと言われながら続いている理由だろう。

 

子供に教えることが好き

新しい学年になり、教科書を見ると、どのような授業をこの子達と進めていこうか考える。教員として楽しい時間でもある。授業を思い通りに進めることができたと思えるのは、そんなにあるわけではない。1ヶ月に1度でもあれが多い方だろう。それでも一生懸命に聞こうとする子供達の姿を見ることができるのは教員しか味わうことができない。

 子供たちと一緒に授業を作っていく。一人一人の発言を取り上げ、組み合わせていくことなど、教員の醍醐味と言ってもいい。

 

思い通り学級作りをすることができる

 昔、「学級王国」という言葉があった。学級を一つの王国として外部からの干渉を受けないこと。よく言えば担任が自分の考えで学級を作っていくこと。悪く言えば学校の方針など関係なしに、独善的に学級を組織していくことである。よほどのことがない限り、校長も学級に対して口を出してくることはない。このことは新任の教員も定年間際の教員も変わらない。

 また、ネットや教育書で見た方法を次の日には取り入れることができる。

 

 40年前と比べると、ずいぶん社会が変わってしまった。ゆとりがなくなったように感じる。あの頃の日本はどこまでも成長していくだろうと思っていた。今日よりも明日、今年より来年になれば生活もさらに向上すると思っていた。明るい未来が待っていると信じていた。