教員の特殊な世界

教員の特殊な世界

 

 よく教員の間では自嘲的に「教員の常識は世間の非常識」などということがある。現職で勤めている頃には、それほど感じなかった。しかし、定年を迎え少し離れたところから見るとおかしなところが見えてくる。

 学級担任。小学校では大学を卒業して、すぐに学級担任になる。担任として教えることは50過ぎの教員とも変わらない。学習する内容も学習内容の理解も同じであることを求められる。もう何度も同じ授業をやっているベテラン教員と同じ結果を出せる訳がない。自分より年上の保護者でも話をしていかなければならない。(逆にいうと、歳をとってからは保護者対応もかなり楽になった。保護者も自分の子供とそれほど変わらない。中には保護者の親を教えていたということもある。)保護者からすれば、自分より若く子育てもしたことがないような子供にあれこれ言われたくないというのが本音だろう。

 教員もクラスの中で他の子と比較しているが、保護者も今までの担任と比較している。保護者から信頼されているというのは幻想であろう。

 他にもおかしなことがある。

 先日病院へ行った時のことである。診療費の計算をしていたのは、看護師さんではなく会計の職員。院内の掃除をしていたのは委託業者。他にもレントゲン技師などそれぞれの持ち場が決まっている。

さて学校ではどうだろうか。学級費や給食費の集金は引き落としになりずいぶん楽になった。しかし、未払い分の請求は担任が行っている。(スマホの料金よりも給食費の方が優先順位が低い)会計報告も担任が行っている。教室の掃除も教育の一環ということで担任が行っている。

部活動指導については、言うまでもないだろう。自分が勤めている時には、気楽に休むことができるのは日曜日の午後だけ。授業よりも部活を優先していた先生も多かった。本来の仕事は一体何だったのか。