心を病む教師1

毎年5000人が心を病む「教員」の過酷すぎる実態

         (ヤフーニュース・東洋経済オンラインより)

 

 朝、ヤフーニュースを見ていたら、このような記事があった。しかし、なぜ教員が心を病むのかといったところまでは残念ながら切り込んでいない。このような記事だった教員の世界では驚くべきことではないし、文科省のは発表だけ聞いていれば誰でも書くことができる。

 問題はどうして教員が心を病んでしまうのか。心を病まなくても良いようにするにはどうしたらいいのかこうした考察が全くなされていなかった。そこで自分なりにどうして教員は心を病んでしまったのか、自分の経験も含めてお伝えしたい。

 

教員としての適性がない

 教員になるためには、教育学部か大学の教職課程を受講する必要がある。大学に18歳で入って自分に教員が向いているか向いていないか判断できないまま教師になるというレールに乗せられてしまう。他の学生と違い就職活動はしない。夏休みに行われる採用試験を目指して周りがやっているから自分も勉強する。教員採用試験に合格すれば自分に教師としての適性があるのかないのか判断しないまま教壇に立つことになる。中には教員に絶対向いていないという先生も何人か見たことがある。

 

教師の子供は教師

 教師の世界は狭い。自分の子供に就職のことを聞かれても自分が就活をしてこなかったのだから、答えることができない。それで自分の子供も教員になることがよくある。(自分もその一人である)

 

今日から先生

 3月まで大学生だった教師も20年以上教師をやってきた人も子供にとってはどちらも同じ先生である。特に小学校で担任をもてば仕事は変わらない。(F1レースの中に一人だけ若葉マークを付けた車があると思ってほしい)当然ベテランの先生と同じ土俵に乗ることになる。学級が多少うるさかったり授業が進まないくらいでは誰も助けてくれない。教え方は自分が教えてもらった時のことを思いだすしかない。一般の企業では1年目の人と10年目の人とは業務内容が違うと思うのだが、これも他の世界を知らないのではっきり言うことができない)

 保護者も今年は新任の先生と聞けば落胆して塾を探すことになる。当然学級が荒れる。保護者を呼んでも保護者の方が年上になる。「まだ子供を育てた経験がないのに偉そうなことを言うな」などの答えが返ってくる。今はそういったモンペ(モンスターペアレンツ)も多い。

 

次に続く