目的をはっきりさせること

目的をはっきりさせること

 

 大学生の頃、卒論でご指導いただいた先生から、指導案を立てる上で「この授業の目的が大切」その目的を達成するためにどのような授業を行ったらいいのか考えて指導案を考えるように言われた。

 

しかし、この頃は方法が重視され目的は軽視されるようになった。運動会などの提案では「目的は読んでおいてください」などと言われることも多い。提案する時間を短縮するという意味があるのだろうが、一体何のために行うのかという視点が抜けてしまっている。

 

指導案についても同様。目的は指導書に書かれていることをそのまま書いたり、授業を組み立ておいて、逆にその授業の中でどのような力がつきそうなのか、子供が活躍できる場を設定して何ができるのか考えて、本時の目的としたりする。

 

本来なら、この単元でどのような力を付けたいのか考え、そのために本時の目的を考えなければいけない。

 

学校生活では、やるべきことがあり、その後付けのように目的が決まって来ることが多い。例えば給食(指導)の目的はどこにあるのだろうか。ネットで少し調べてみたが、どこにも「好き嫌いをなくす」などとは書かれていない。また嫌いなものでも食べることができるまで片付けをさせないというのは、何を根拠にしているのだろうか。

 

コロナ対策についても、今一番大切なことは何なのかもう一度考える必要がある。子供の命以上に大切なものがあるだろうか。現在非常自体宣言が出されている。ここで学校に子供を来させると言うことは間違ったメッセージを送ることにならないだろうか。

 

忙しい中、どうしても目的よりも方法が討議されることが多い。しかし、ここで共通の考えを持つことは難しい。それは目的が共通理解されていないからではないだろうか。