研究発表が教育をダメにする。

研究発表が教育をダメにする。

 

教員は授業だけしていればいいというわけではない。

 プールの管理やPTAとの付き合いもある。それ以上に面倒なのが研究というものである。数年に1度研究発表というのが回ってくる。

 昨年度はコロナのために研究発表会が行われなかった。しかし、今年度はいくつかの学校が研究発表をすることになっている。今頃は夏休みを返上して指導案を作ったり、その指導案を検討したりしている頃だろう。一部の教員には今までの努力が認められる場となる。しかしその他大勢の教員にとっては負担でしかない。

 

本当はやりたくない研究。

 研究は道徳や国語、総合的学習の時間など教科を決めて取り組むこともある。

指導案を作れば終わりというわけではない。指導案を作ると次は検討会が行われる。指導案通りの授業でこの時間の授業の目的を達成することができるか。時間の配分には問題ないかなど検討をする。

当然子供が帰ってからになる。その分勤務時間が増える。家に帰ってからも指導案のことが頭から離れない。学校にいては落ち着いて仕事ができないので家で考えることになる。合わせて資料作りも始まる。今までの実践で子供がどのように変わったかなど、まとめていく。

 

研究発表で得られること

 強制的に研究に組み入れられる。当日以外にも授業を公開しなければならない。視察という観光旅行に組み入れられることもある。その場合にも授業を公開しなければならない。異動で違う学校に勤めることになれば、その学校での研究に組み入れられる。また参観する方も授業を見て終わり。

 

当たり前のこと

 研究なので仮説と結論がある。この仮説が当然の内容。そして結論も一人の作文を載せて終わりと言ったものが多い。いったい何のための研究なのか。子供のためにはなっていない。