家庭訪問について

家庭訪問について

 

 わたしの勤めている小学校でも家庭訪問が始まった。コロナや働き改革の影響なのか大きくやり方が変わった。まず特に相談することがなければ、家の確認だけになった。保護者が家にいる必要はない。時間はかかるが実際に保護者と話ができるのは5分程度。教員にとっても、まだまだ一人一人の子供たちの様子が掴めていない段階で「うちの子どうでしょう」などと質問だれても適当に「学年が上がって頑張っていますよ」くらいしか話すことがない。

 

家庭訪問の思い出 湯茶について

家庭訪問ではお茶やお菓子は断ることになっている。これは保護者に負担にならないようにと思っているかもしれないが、本当は違う。教員のためである。特に困るのが、子供が熱いお茶やコーヒーを淹れてくれた時。断るわけにもいかず、喋ることもなくなる。しかし熱くて飲めない。

冷たいジュースならまだいいが、それでもトイレのことが心配になる。一応どこに公衆トイレがあるのか確認して家庭訪問に出かける。しかし、途中でトイレに行くことになると時間かかってしまう。

一番良いのは、何も出さないこと。場所は玄関先で十分。

 

家が分からない

今と違ってナビもなければ携帯もない。今ならナビに住所を入れれば、勝手に子供の家まで誘導してくれる。携帯があれば、家に近くまできた時に連絡を入れて玄関先まで出て待っていてもらったり、遅れそうなときは、連絡を入れたりすることもできる。教員になって15年ほどはどちらも一般的でなく持っていなかった。

ナビがなかったので、住宅地図を見ながら家の場所を確認した。携帯がないときには、家の近くなのに、家が分からずに時間がかかってしまった。また、遅れそうなときには、いつになったら来るのか心配をかけたと思う。

 

車を止めるところがない

自家用車で家庭訪問を行った。校区の端から端まで走ると、車でも10分ほどかかってしまう。さらに車を止めるところがない。太い道なら路上駐車もしてしまうのだが、一台しか通ることのできない道ではそれもできない。せっかく家が見つかっても、車を止めることができるところを探さなければならない。

 

家庭訪問もずいぶん形が変わった。たった数分のために仕事を休んでもらうのも気が引ける。玄関先で保護者と話をすることがほとんどだった。保護者の方がいろいろ話したいようだった。どのような家庭なのか知ることが目的だが、実際には子供のことしか興味がない。

 

ヤングケアラーについて

ヤングケアラーについて

 

 恥ずかしい話、今まで特別支援学級の担任をしていたが「ヤングケアラー」という言葉を知らなかった。「ヤングケアラー」とは「家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどをおこなっている、18 歳未満の子ども」のことを指す。

 わたしがこの言葉に興味をもつわけは、小学校で特別支援学級の担任をしていたからである。学級の中には言葉をほとんど理解することができない子どもがいた。また、寝たきりで痰の吸入が必要な子供もいた。どの子も自立することは難しい。ヤングケアラーの世話が必要になる可能性もある。将来にわたり障害をもった兄弟と関わっていかなければならない。保護者に何かあれば面倒を見ていかなければならない。食事・排泄なども支援が必要なため長時間目を離すことができない。

 周りからは、兄弟なのだから世話をして当たり前というように見られることも問題。(自分もそうであった)

 

ヤングケアラーに対する支援が必要という認識がない。

 兄弟に知的身体的な障害があり、自立することが難しい子供がいる。そういった子どもに対する支援は少しずつ改善されてきたように思う。また、重度の障害のある子供も小学校の特別支援学級に入るようになってきた。商業施設でも障害のある子供を見かけることもある。

 しかし、障害のある子供の兄弟にも支援が必要であるという認識はあまりなかった。しかし今回の記事を見て、中には介護のために1日7時間も使っている子供がいるということだった。兄弟の介護のために進学、希望する職業への就職、結婚など諦めたり制限されたりすることになる。さらに深刻なのは、さまざまな支援制度があるにもかかわらず、相談できる相手がいないために利用できないこと。まして一番の大人の相談相手としての担任にも相談できない。

 

 教員として勤めてきて、障害をもった子供やその保護者と接してきた。その子供の兄弟(将来のヤングケアラー候補)も見てきた。共倒れになってしまわないか心配である。兄弟に対しての支援を考えてほしい。

残念な校則改定 本当に生徒の意思?

生徒みんなで校則変えた  広島・安田女子中高の挑戦

経済産業省の委託事業で、東京のNPO法人が企画した「ルールメイカー育成プロジェクト」のモデル校に選ばれたのがきっかけだ。校則改定を通し、課題を見つけ、解決を図る力を育む試みだった。

4/18(日) 中国新聞デジタルの記事である。

 

   このような偽善の塊のような記事を見ると、怒りよりも子どもたちがかわいそうになる。「本当に生徒みんなで校則を変えたのか」答えは多分ノーである。まず生徒から校則を変えたいという強い思いがあったわけではない。その前に「ルールメイカー育成プロジェクト」のモデル校に選ばれたこと。「校則改定を通し、課題を見つけ、解決を図る力を育む」という目的がありそれに従って校則を見直しただけ。つまり生徒から校則を変えたいという申し出がある前に「校則見直しありき」から先に始まったこと。

 当然モデル校に選ばれたということは、職員会で先に校則変更の話し合いが持たれているはず。その中で「何を」「どのようまで変えるのか」という話題は出ているはず。さらに生徒会の顧問がついて指導をしているはず。

 さらに、この学校は多分私立の学校だろう。入学してくるときに問題のある生徒はフィルターにかけられ問題行動の心配のある生徒は入学してこない。それでも問題があれば退学にすることもできる。だから多少校則が変わっても生徒が崩れることも考えられない。

 さらに、姑息に思えるのは生徒が主体となって校則を変えたような振りをする事。時代にそぐわなければ、学校側が変えればいいのにそれをしようとしない。なぜなら学校側が変えれば、今までの指導を否定することになるから。

 また、このような記事を作るときに教員へのインタビューが行われていないこと。これも片手落ちというのか残念である。

宿題について考える 3

宿題について考える 3

確かに保護者にとって宿題は子どもに勉強をさせる上で強制力があって便利なものである。しかし、日曜日の夜に「なんで今までやらなかったの」とか「先生に怒られれば良い」などヒステリックに子どもを叱るならやらない方が良い。(よく子どもからの訴えがある)また、宿題があるから、遅くまで起きているなどと言うのも本末転倒である。

家庭での学習は宿題だけではない。家庭生活の中で学ぶべきことは多いように思う。お手伝いなどはその最たるものである。

 

宿題を教えて良いのか、自力でやらせるべきなのか

懇談会で、よくこの質問が出る。宿題自体不要に思っている自分としては、無理をして子供だけにやらせる必要はなく保護者が手伝えば良いと考える。(あまり口を挟むと子どものやる気がなくなってしまう場合があるので注意)見守っていて、子どもから質問が出たり困っていたら手助けすればいい。

 

いつまで手伝って良いのか

これは一概に言うことはできない。しかし、一人でやれるように少しずつ手を離していくことが大切。一番悪いのは、中学校に進学したり学年が上がり、保護者が分からなくなった時に手を離すと言うことである。「もう中学生だから」などと親の都合で手を離すのは最悪であろう。

 

教えるときに気をつけてほしいこと

教科書通りの方法で解けるようにしてほしい。大人は色々な解き方を知っているが、まだ学習していない解き方で解いたり、正しい字を書かなかったりすると悲しむのは子どもである。保護者に教えてもらい、自信をもって答えたのに間違いだったというのでは可哀想である。

一年生だったら、数字の読み方や「前から○○ばんめだったら前に何人いますか」の問題に注意してほしい。2年生だったら九九の読み方を一度教科書で確認してほしい。

宿題について考える 2

宿題について考える 2

宿題を出す目的として、次の4点があると思う。①学習習慣を身につける。②家庭でしかできない調べ学習。③学習内容の定着。④時間切れで学習できなかった分を家庭でやらせる。(もう一つは保護者からのリクエスト)

 

 ①学習習慣を身に付けさせる

 宿題とは別に家に帰ったら机に向かう習慣は身につけさせたい。また丁寧に書く、下敷きを使うなど学習習慣を身に付けさせたいと考えていた。そのための宿題として漢字ドリルだけはできるだけ出すようにしていた。「漢字ドリルを10問きちんと写してくること」これが宿題である。漢字だけではなく、例文をきちんと写さなければならない。簡単ですぐ終わるように思えるかもしれないが、子どもが書いてきた漢字で一つでも間違えがあればやり直しにしていた。当然子どもによっては進度に違いが出てくる。

  最初は、いい加減な字が多く見られたが、何度もやっていく中でだんだん丁寧な字が描けるようになってきた。しかし、進んでいる子どもには厳しく、やり直しで遅れている子どもには、あまり細かいところまでは指摘しないようにしていた。それでも子供達からは文句は出なかった。

 

 ②家庭でしかできない調べ学習

 生活科の「買い物調べ」「大きくなったぼく・わたし」理科の「月の満ち欠け」などは家庭での宿題にするしかない。これについては、保護者の理解と協力が必要。しかし、一緒に楽しむと言うスタンスで取り組んでもらえると子供も喜ぶ。興味が学習につながる。

③学習した内容について定着を深めるための宿題

 この種類の宿題が一番ポピュラーなのでは。しかし、定着を問題とした時に、子供の特性、理解の仕方を全く考えていない、画一化されたプリント。一部の子どもには学習ではなく作業になってしまう。日本語教室に来ている子どもにとって漢字ドリルは。自分の場合給食を食べ終わって、子供が落ち着いていれば急いで職員室に戻り、プリントを印刷して帰りの会で子供たちに配ると言うことも多かった。

 

④時間切れで学習できなかった分を家庭でやらせる

 算数ではあまりないとは思うが、国語で感想をノートにまとめる。図工で描けなかった分を家で描いてくるなど。特に遅れている子どもにやってくるように言うことが多い。しかし、結果はあまり期待していない。やったと言う事実が大切。

 

 今週担任から出された宿題は、どのカテゴリーに当てはまるだろうか。④でないことを祈りたい。

 もう少し宿題について考えたい。

宿題について考える 1

宿題について考える 1

学校で「あの先生は宿題を出さない」と言うのは、子供には喜ばれるが、保護者には嫌われてしまう。もちろん意識の高い保護者は帰って歓迎してくれるのだが。結局家に帰っても遊んでばかりで何も勉強しようと思わない子どもが問題。保護者の方でその子どもに合ったドリルなど購入してやらせたり、塾に通わせたりしてくれればいいのだが、それができない保護者に限って宿題を出すように言ってくる。

 

教員にとっても面倒な宿題

担任にとっても宿題を出すというのは、かなりの手間である。プリントを印刷するなら何を出すのか考えて印刷しなければならない。さらに、提出できているかチェックしなければならない。そして漢字ドリルなら、字を間違えていないかチェックする必要がある。

日記だったら、その返事も書かなければならい。これだけでも30分以上かかってしまう。日記の場合返事の手を抜けば、すぐに質が下がってしまう。給食を食べ終えてからがチェックの時間となる。この時間なら子供を呼んで間違えたところの説明をすることもできる。

 

自主勉強も解決にはならない

この頃自主勉強という言葉が出てきた。担任が算数のプリントや漢字ドリルなど同じものを宿題として出すのではなく、子どもがやりたい学習を自主的にやってくるというものである。

しかし、これもこちらが限定しないといい加減なものとなってしまう。読書ならまだいいが、運動やカラオケ(歌の練習)まで出てくる。チェックも手間がかかる。算数の計算練習で間違えを見つけても、いちいちチェックしていくと相当時間がかかってしまう。

 

宿題は何のために出すのか

宿題は何のために出すのか、その点がいい加減になっている。基本的な内容理解というなら学校で学習が完結すべきである。各一的な宿題は作業でしかない。また、そのような学習が必要なのかということも指導していない。そのため同じ漢字を何回も書く宿題が残ってしまっている。

 

もう少し宿題について、具体的に考えていきたい。

 

 

 

ブラック校則について2

ブラック校則について2

 では、どうしてこのようなブラック校則が無くならないのだろうか。私の勤めている学校では公立小学校なのに制服がある。(ご立派な伝統校でもない)周りの小学校では、制服を着ている学校の方が少ない。制服がどうして無くならないのだろう。

 今まで何度も保護者にアンケートを行なっている。その度に僅差で制服が勝ってしまう。校則は保護者にとって宿題のようなものではないだろうか。その点から考えてみたい。

 

勉強しろと言ってもやらないが宿題ならやる。→校則だと言えば守る

 多くの保護者から子どもが宿題以外やらないという話をよく聞く。つまり保護者も宿題なら勉強させることができるというわけである。校則も同じ。派手な服や髪型も保護者では止めさせることができないが、「校則だから先生に怒られる」と言えば保護者の言うことを聞く。

 

校則をすり抜けたい子供

 この校則も教員の立場から考えてみたい。冬場のマラソン大会では原則半袖、ハーフパンツで走る。下着を許可すれば、半袖の下に長袖のアンダーシャツを着ていても指導ができない。ハーフパンツの下にタイツを履いてくる子供も出てくるだろう。校則で決められていなければ、何をやっても自由という子供もいる。

 もちろんこのようなことをするのは、高学年の一部。中には、細かいところまでは決められていない校則もある。保護者に配られた「校則」では「中学生らしい髪型」となっている場合がある。細かく「ツーブロックは禁止」など書くと「リーゼント」「モヒカン」など全ての髪型について書かなければならない。

 

校則が守れないと思ったら

 もし、理由があってアトピーなどで下着を着ないといけないのなら、担任に相談すべきである。校則の中には抜け道のあるものもある。例えば「携帯は持たせない」と言う決まりになっているが、保護者が言えば持たせることができる。しかし、「携帯を持たせることができる」と言うのは保護者には伝えていない。

 

画一化した指導で子供を伸ばすことができるとは思わない。学級の全員が宿題のように同じ課題に取り組み、校則に従って同じ髪型、服装だったら逆に気持ちが悪いと思わないだろうか。