日本語指導の難しさ 難しい漢字の指導

日本語指導の難しさ 難しい漢字の指導

 

昨年度より、外国にルーツを持つ子供たちの日本語指導を行うようになった。(外国にルーツをもつ子供たちも現状では日本で生活しているので、外国人という言い方はしない)

 

「保健室」を知らない

最初は漢字練習や算数など担任から依頼のあった学習内容。また国語の教科書にルビを振った上で音読の練習をさせた。しかし、教えていくにつれて違和感を感じるようになった。それは普通に知っていると思っている言葉を知らないと言うことである。例えば保健室や職員室と言った言葉も知らない。ただ子供たちも「知らない」と言うことはできないので、周りの子供の動きを見て真似をしていたようである。そのために担任も特に意識することなく話をしていた。

 

難しい漢字の指導

日本語指導の研修で「タイ語の文字を書いてください」と言われた。とにかくよく見て写す。それでも何が書かれているのか全くわからない。文字ではなく絵として捉えるしかなかった。それと同じことが漢字の指導にも当てはまる。

漢字の指導に難しさを感じるようになった。問題は、今までの指導方法が通用しないこと。外国にルールを持つ子供たちは、原則真面目。そのために今まで通りのやり方で漢字を指導すると一生懸命に絵として写す。何度も練習して書いているが、少し画数が多くなるとミスが目立ってしまう。書き順もその都度違っている。どこまで指導していいのか分からない。文字の意味を理解できていない。パーツの組み合わせとして捉えることができない。

また、1つの漢字なのに音読みと訓読みがあり、さらに何通りもの読み方がある。そして「七夕(たなばた)」などの読み方も覚えなければならない。

 

日本で学習するには、漢字の学習は避けて通ることができない。しかし、外国にルーツを持つ子供たちにはかなりハードルが高い。

コロナ禍の中の小学校

コロナ禍の中の小学校

夏休みに入る前まではそれ程小学校での感染を心配していなかった。しかし、9月がちかづくにつれてコロナの感染が広がっていく。休校すべきではないかという声も聞こえるようになった。職員室で濃厚接触者という言葉が出ると、すごく気になる。

 

子どもの中にも感染者が

子どもたちの欠席理由で一番多いのが「コロナ感染に配慮して。」である。5名の子供が感染を恐れて休んでいるクラスもある。忌引き扱いになっているので休むことへのハードルが低くなっている。またコロナ感染の連絡があったのは2名。しかし、本当に濃厚接触者も含めて2名だけで済んでいるだろうか。保護者の感染も含めればもっと多くても

 

保護者どうしの不信感

9月に入り教頭の所へ保護者から電話があった。熱があっても学校に来させている保護者がいるということだった。確かに子供に多少熱があっても特に症状がなければ、学校に行かせる保護者もいるだろう。また、学校ではマスクがファッションになっている。そのためウレタンマスクをしている子どももかなりいる。

 

学校における3密

教室は40人の子どもが入ることができるように作られている。ソーシャルディスタンスのことなどは全く考えられていない。そのため授業中は友達との距離を取ることは難しい。さらに休み時間になれば手をつないだり、顔を突き合わせるようにして話をしたりしている子どもも多く見られる。

 

今のところ教職員の感染は見られない。しかし、いつクラスターが発生しても不思議ではない。問題はどこから広がったかということ。とにかく子供を預かっている身としては、自分から学校の子供たちの感染だけは防ぎたいと思う。小学校ではほとんどの子どもが12歳以下。感染が広がらないことを祈るのみ。

 

 

教員になって楽しかったこと

教員になって楽しかったこと

 

卒業式

 Twitterで教師のバトンを検索すると、本当に多くの教員がツイートしている。文科省の目論みとは逆に教員の辛いところ、酷い職場環境などの訴えが見られる。自分としても共感するところが多い。

 

教員を続けてきた理由

しかし、教員になって全てが辛かったわけではない。特に6年生の担任をし、卒業式を迎えるとそれまでの苦労がなかったかのような気持ちになる。これが40年近く教員を続けて来ることができた理由かもしれない。

 

教員として

卒業式当日は、子供たち以上に誇らしい気持ちになる。6年の担任は3度挨拶をする。卒業生、保護者、そして職員の前で行う。いろいろ問題はあったが、卒業式で一つの区切りになる。6年生以外はまだこれから学校で指導する機会もあるが、卒業生の場合これでこの子供達とも学校で会うことはなくなるし、指導することもなくなる。

 

 卒業式で子供たちが体育館に入ってしまうとそこからは子供たちだけで進めていかなければならない。別れの言葉や校歌は子供たちを見守ることしかできない。卒業式に向けての練習が思い出される。練習を始めた時には、だらだらしていて本当に卒業式ができるのか心配になる。しかし練習をすることで卒業に対する意識が高まっていく。(コロナのために十分な練習ができないのは仕方がないが、卒業に向けての心を作ることが難しい)

 

子供のためにできること

 卒業学年を担任していない時には、卒業式や一連の行事に対して「早く終わって欲しい」「面倒」などと思ってしまう。しかし卒業学年の担任をしている時には「思い出に残る卒業式にしてやりたい」と思う。中には前日から子供達全員に手紙を書いていてほとんど寝ていないという教員もいた。

 

なぜ教員はブラックなのか

 問題なのは、「教える」という行為だけでなく、部活、教育委員会への提出書類の作成、給食費の徴収。教員免許の更新といったことの時間が取られてしまっているからではないだろうか。

目的をはっきりさせること

目的をはっきりさせること

 

 大学生の頃、卒論でご指導いただいた先生から、指導案を立てる上で「この授業の目的が大切」その目的を達成するためにどのような授業を行ったらいいのか考えて指導案を考えるように言われた。

 

しかし、この頃は方法が重視され目的は軽視されるようになった。運動会などの提案では「目的は読んでおいてください」などと言われることも多い。提案する時間を短縮するという意味があるのだろうが、一体何のために行うのかという視点が抜けてしまっている。

 

指導案についても同様。目的は指導書に書かれていることをそのまま書いたり、授業を組み立ておいて、逆にその授業の中でどのような力がつきそうなのか、子供が活躍できる場を設定して何ができるのか考えて、本時の目的としたりする。

 

本来なら、この単元でどのような力を付けたいのか考え、そのために本時の目的を考えなければいけない。

 

学校生活では、やるべきことがあり、その後付けのように目的が決まって来ることが多い。例えば給食(指導)の目的はどこにあるのだろうか。ネットで少し調べてみたが、どこにも「好き嫌いをなくす」などとは書かれていない。また嫌いなものでも食べることができるまで片付けをさせないというのは、何を根拠にしているのだろうか。

 

コロナ対策についても、今一番大切なことは何なのかもう一度考える必要がある。子供の命以上に大切なものがあるだろうか。現在非常自体宣言が出されている。ここで学校に子供を来させると言うことは間違ったメッセージを送ることにならないだろうか。

 

忙しい中、どうしても目的よりも方法が討議されることが多い。しかし、ここで共通の考えを持つことは難しい。それは目的が共通理解されていないからではないだろうか。

 

 

サピエンス全史

サピエンス全史

 

 自分たち人類はどこからきてどこへ行くのだろう。還暦・退職そして人生のゴールが見えてきた時に考えるようになった。それに少しでも解答を示してくれればと思い「サピエンス全史」を読むことにした。消費税を入れると二千円を超えてしまう。上下揃えれば四千円。ランチだったら家族で行くこともできる。

 

歴史の見方が変わる

 植物に使われているサピエンス、狩猟時代から農耕時代に変わり、サピエンスは貧しくなったなど、今まで学校で教えられたり、教えたりしてきた歴史とは違う面からサピエンスの歴史を見ている。

 

人が作ったヒエラルキー

 特に教員として心に残った部分が「ヒエラルキー」(階層)に関する部分である。社会や時代が変われば今まで当然だと思っていたことが変わってくる。

ヒエラルキーは昔からあり神話と結びつくことで誰も疑っていなかった。特に男女の差については当然のように受け入れていた。しかし、疑ってみるとこの男女の差は生物学的には説明できない。今まで学級の担任をしていたが知らないうちに「男だから」「女だから」というレッテルを貼ってきた。女の子なのに活発。男の子なのに大人しいなど。しかし、男の子と言う生物学的な分類と活発という性格との間には何の関連もない。それでいて男の子は「男らしく」生きることを強要されている。現状でのアフガンなどその典型だろう。

 

貨幣の成り立ち

貨幣についても、今までその存在を疑うようなことはなかった。しかし貨幣の成立の歴史を疑うようなことをしてこなかったことに問題がある。しかし相互の信頼関係がなければ紙幣は紙1枚の価値しかないことになる。

このように、このサピエンス全紙を読んで感じた。これから下巻を読む。楽しみである。

 

読書感想文の書き方

読書感想文の書き方

 

あと夏休みも1週間。読書感想文はもう終わっただろうか。今回は選ぶ立場から読書感想文の書き方をお伝えしたい。

 

なぜ本を読むのか

 なぜ本を読むのだろう。特に児童の場合には知識を得たりや体験できないことを本の世界の中で体験したりするために読むことが多いだろう。当然心の中には、読書を通して考え方が変わったり、自分の行動の変容につながったりすることもある。

 

本の選び方

 自分の考えや行動に変容をもたらすことができそうな本を選ぶことが大切である。課題図書の場合難しいが、自由図書なら本の表紙や前書きや目次を見るだけでかなり内容を想像することができる。「読んで面白そう」など娯楽のために本を選んでしまうと、面白いだけで終わってしまうので注意が必要。

 

本を読むビフォーアフター

まず読書感想文というのは、読書した本の感想を書くのではないと言うこと。単純に言えばその本を読む前と読んだ後で自分の心がどのように変化したのか書くことが大切。

 

考えを凝縮する

そのために一々場面の解説をしていくこともあまりよう方法ではない。さらに小学校高学年では原稿用紙3枚まで。長いと思われるかもしれないが、段落などで分けていくと自分の思いを十分に書くことができなくなってしまう。よく本屋に行った時のことから書かれている作品を見かける。内容が薄まってしまう。

 

作文と同じ

起承転結4つの部分に分けて考えてみる。そして作文用紙に直に書くのではなくカードに自分の感じたことなど書いていく。

例として、以下のようなことを考えてみた。

  • 自分の本を読む前の姿。(主題に基づいて)
  • 読んで行動したこと。(本に書かれていることを自分でもやってみたなど)筆者の苦労や頑張りを感じ取る。自分と比べる。
  • これからやってみようと思いこと。心の変容(自分がどのように変わったのか)
  • まとめ。これからの自分へ。

 

せっかく読書感想文を書くなら、自分の成長につながる本を読んでほしい。

今年の夏休み

今年の夏休み

 

今年の夏休みの振り返りをしたいと思う。

昨年と同じようにコロナに振り回された夏休みだった。定年後の再雇用の教員なので、毎日決まった仕事があるわけではない。これから一番手間がかかるのが宿題の作品の整理も担任ではないのでやらなくて済む。

 

今回の夏休みはお盆休みなどもあり5日間学校に行くだけで済んだ。さらに学校でも特にやらなければいけないことはないので、読書や2学期に向けての教材の準備を行っていた。

 

コロナワクチン接種

一番のイベントはコロナのワクチン接種したこと。まだ1回しか接種していないが、それほど重大な副反応も見られなかった。二日目になって少し腕に張りを覚える。発熱はなかったし寝込むようなこともなかった。

市外にもほとんど出かけていない。ショッピングモールに出かけるのもほとんどなかった。また出かける時にはできるだけ平日のあまり人がいない時に出かけるようにした。しかし、ワイドショーなどでTDLなどの観光地の特集をしていると腹が立つ。

 

家族のこと

家を出ている子供がいるのだが、お盆に1時間ほど帰ってきただけで食事もしないでまた戻ってしまった。本当ならゆっくり食事をして泊まってから帰って欲しかったのだが、それもできない。昨年の夏休みは休校のために2週間ほどしかなかった。しかし、今年度は例年と同じ長さの休みになった。長い休みだったが、旅行に出かけたり、食事に行ったりすることはなかった。いつになったら今までと同じ夏休みに戻ることができるのだろうか。

 

2学期とコロナ対策

2学期が始まると子供達が学校に戻ってくる。今まではコロナ感染と言っても、感染した子供はいなかったので、マスクをきちんと書けていない子供がいても結果的には問題なかった。夏休みに入って学校から子供のコロナ感染の連絡はなかった。しかし、子供に陽性者が全くいなかったとは考えにくい。もう2学期が始まっているところもあるとのこと。感染対策に注目していきたい。