あだ名について

あだ名について

 

 数日前のヤフーニュースに「『あだ名』禁止いじめ減らず」という記事があった。「あだ名を禁止してもいじめはなくならない」というものだろうか。この記事を書いた人は、自分の思いと違うあだ名をつけられたことがないのだろう。

 この記事を見た時、今から50年ほど前、小学校5年生の時のことを思い出した。その時に付けられたあだ名が大学を卒業するまで続いた。教員になって地元(出身中学校)に戻った時、恐れていたことの一つに、あだ名がバレるということだった。

そのあだ名が「○○○○ばか」というものだった。それだけ小学生の考えるあだ名というのは残酷なのである。流石に「ばか」という言葉が消え「○○○○」という部分だけがあだ名として残った。中学以降の友達は、ただのあだ名だと思って呼んでいたのだろう。あだ名が付けられた経緯を知れば、言わないでくれたと思う。

「○○○○ばか」と呼ばれて、ニコニコしていなければならない気持ちをこの記事を書いた人がわかるだろうか。ここで我慢したからいじめに発展しなかったのかも知れない。担任ですら、問題になっていないのだから対応もしてくれない。当然あだ名くらいではいじめとして認識はされないだろう。

今でも、この「○○○○ばか」と呼ばれていたことを思い出す。50年経っても心の傷として残っている。このことを考えてほしい。

たかがあだ名である。しかし、このあだ名を私の周りの人は、親しげに使うのである。悪意がないだけ辛い。

テレビであだ名について扱っていた。「父親が村長だったから、あだ名が『村長』」こんな人たちに、何も声を挙げることの出来ない、弱い人の気持ちがわかる訳がないと思った。

小学生がどうしてあだ名を付けるのか、少し考えれば分かるはず。

禁止を続けてほしい。