「人間教育とスポーツ指導をごちゃ混ぜにする、日本式コーチングの罪」より

人間教育とスポーツ指導をごちゃ混ぜにする、日本式コーチングの罪

 

 ヤフーニュースにこの記事が載っていた。(現代ビジネスより)この原因こそスポーツの力と精神論を語っている一部の人と学校における部活動に原因があると思われる。

学校における部活動の問題点は、授業を行っている教員が指導を行っていること。部活動指導が教育活動の一環となっていること。つまり部活動指導の中に道徳教育が織り込まれていることである。たしかに、この記事にあるようにごちゃ混ぜである。

 

教員が行う部活動指導と道徳指導

 よくこのような道徳の課題が見られる。

「『野球の試合、1点負けている。1塁に走者がいるので監督からは送りバントの指示が出ている。しかし、ピッチャーが投げてきたボールは真ん中。』この時どうしたらいいと思いますか。打つのか、送りバントをするのか、これが道徳の課題となる。

この授業を顧問である教員が行う。実際にどちらがいいだろうか。子供たちなりに一生懸命に考える。「監督が送りバントと言ったから」「失敗したらみんなに迷惑がかかるから」などの意見が最終的には大半を占める。

試合中の反則についても、道徳では「反則した場合、(審判が気付いていなくても)自分から申し出る」が求められる答え。しかし、実際に試合の時にそんなことをしたら、監督含め全員が不満を言い出すだろう。「お前が黙っていれば勝てたのに」と。

 

スポーツ=部活動の日本

さらに、問題なのは日本のスポーツ指導が学校での部活中心になっていることである。休日や部活動終了後地域のスポーツ団体に参加するのはごく一部の子供である。教員にとっても、「部活動の指導」というのか経験がないところから始めなければならない。

 

 教員のブラック化も含めて、学校での部活動のあり方について真剣に考える時期がきたのではないだろうか。