「『みんなと違う子だから発達障害』という考え方はなぜ危険なのか」という考えはなぜ危険なのか2

「『みんなと違う子だから発達障害』という考え方はなぜ危険なのか」という考えはなぜ危険なのか2

 

学校教育の目標

先回のブログに続いて、学校での限界について話をしていきたい。今日の新聞に全国学力調査の問題が出ていた。このような形で調査が行われるということは、学校での教育目標を示されていることになる。いくら素晴らしい教育をしていると言っても、この調査の平均点が低ければ評価は低くなる。教員や学校にとっては一大問題である。

 

教員と保護者のずれ

教員は教えることの専門家であるという認識はある。

しかし、「みんなと違う子」についての認識は保護者の方が高い。その場合、保護者から見ると「どうしてあの担任は理解してくれないのか」などの愚痴が出る。教員の対応について言いたいことも出てくるだろう。

また、保護者の方は横のネットワークが広い。同じ学級の保護者だけでなく、サークルなどからの情報もある。特に他の学校と比べられるのは辛い。いいところだけ比べられても困るだけ。

 

特別支援学級に対する偏見

 一人一人の個性を大切にするためには、少人数での指導が不可欠である。例えば山間部などにある学校なら1クラス数人というところもある。現実にはほとんどの学校では特別支援学級が設置されている。1学級8名まで。さらに補助の方が付く。先程のような場合でも、動くことができなくなった子に対して補助の方がつくことも可能。

 しかし、保護者に特別支援学級に対する偏見があることも確か。保護者の中には、特別支援学級の話をしただけで拒否する人もいる。しかし、中には普通学級と同じ内容の授業を行っているところもある。子供の事を受け入れてくれる学級もあるということを覚えていてほしい。

また、学校生活に慣れるまで支援学級に在籍するという方法もある。もちろん支援学級に入れたから、保護者は何もしなくて良いというわけではない。どちらにしても学校に任せて不信感をもつよりも、保護者が子供に働きかけることが必要である。

 

障害という言葉

 子供の特性に「障害」という名前をつけることはよくないと思う。「障害」ではなく、子供の個性や考え方を尊重することが必要である。そのための答えを普通学級の担任に求めるのは人的資源や制度の上で難しい。

 

続く