批判だけなら誰でもできる
批判だけなら誰でもできる
私の中で「教育評論家」ほど当てにならない人種はいないと考えている。特別な資格がいるわけではない。教員の勤務時間、学習内容、子供、保護者どれをとっても問題がないわけがない。それを声高に学校が悪い。教員が悪いなどと批判するだけなら誰にでもできる。問題なのはどのような解決策を提示できるか、それができてこそ「教育評論家」を名乗る資格があるように思う。
先日ヤフーニュースで次のような記事を見た。
「教師の勤務時間ダントツ世界一」でも保護者は不信感…教育現場に潜む“4つの大問題”
著者(妹尾昌俊氏)には悪いが、一々書かれなくてもこんなことは教員なら誰もが感じていること。
特に宿題について「宿題の中身・質が問題であった可能性も高いと私は捉えています。」まず、宿題はなんのために出すのか。結局は保護者のリクエスト、保護者の信頼関係を作るため。普通の公立学校の保護者の多くは、子供が家に帰って机に向かって何かしていると安心する。逆に何もせずに遊んでいると、保護者としてはイライラしてくる。
(公立小学校における)宿題の要件は
1(保護者の手伝いがなくても)一人でできる。
2 子供の持っている物で取り組むことができる。(パソコンなど使わない)
全員の子供に対して、上の2点の用件を満たす宿題といえば、漢字や計算のドリルぐらいしか思い浮かばない。学習というより作業的、習慣付けとしての宿題になっていることは十分に理解している。
保護者からも「写経のように漢字の書き取りばかりさせる意味がわからない」「できる子にとっては計算ドリルをやってもあまり意味はない」といった声を聞きました。
もし探求的な学習がさせたいのなら、保護者が子供と一緒に取り組めば良いこと。教員の出す宿題に頼っている方が間違っている。
宿題の危険性
公立小学校の場合全ての保護者が子供の教育に対して熱心というわけではない。一度子供の使っている教科書を見てほしい。
1ドリルの問題も学年に応じた解き方がある。
例2年生はまだ割り算を学習していない。なので、割り算を使って問題を解いてはいけない。
2ノートに下敷きを使う
いくら学校で下敷きを使うように言っても家庭で宿題をやるときに使わなければ、下敷きを使うという習慣はつかない。使わなくても良いと思っている保護者は一度子供の使っているノートを見てほしい。ボコボコになっているはず。
できれば、どのような宿題を出したらよいのか、全ての保護者が納得できるような宿題をぜひ具体的に示してほしい。