宿題について考える 1

宿題について考える 1

学校で「あの先生は宿題を出さない」と言うのは、子供には喜ばれるが、保護者には嫌われてしまう。もちろん意識の高い保護者は帰って歓迎してくれるのだが。結局家に帰っても遊んでばかりで何も勉強しようと思わない子どもが問題。保護者の方でその子どもに合ったドリルなど購入してやらせたり、塾に通わせたりしてくれればいいのだが、それができない保護者に限って宿題を出すように言ってくる。

 

教員にとっても面倒な宿題

担任にとっても宿題を出すというのは、かなりの手間である。プリントを印刷するなら何を出すのか考えて印刷しなければならない。さらに、提出できているかチェックしなければならない。そして漢字ドリルなら、字を間違えていないかチェックする必要がある。

日記だったら、その返事も書かなければならい。これだけでも30分以上かかってしまう。日記の場合返事の手を抜けば、すぐに質が下がってしまう。給食を食べ終えてからがチェックの時間となる。この時間なら子供を呼んで間違えたところの説明をすることもできる。

 

自主勉強も解決にはならない

この頃自主勉強という言葉が出てきた。担任が算数のプリントや漢字ドリルなど同じものを宿題として出すのではなく、子どもがやりたい学習を自主的にやってくるというものである。

しかし、これもこちらが限定しないといい加減なものとなってしまう。読書ならまだいいが、運動やカラオケ(歌の練習)まで出てくる。チェックも手間がかかる。算数の計算練習で間違えを見つけても、いちいちチェックしていくと相当時間がかかってしまう。

 

宿題は何のために出すのか

宿題は何のために出すのか、その点がいい加減になっている。基本的な内容理解というなら学校で学習が完結すべきである。各一的な宿題は作業でしかない。また、そのような学習が必要なのかということも指導していない。そのため同じ漢字を何回も書く宿題が残ってしまっている。

 

もう少し宿題について、具体的に考えていきたい。