教育格差について考える

教育格差について考える

 地方の公立小学校にいると、それぞれの子供の家庭環境の違いの大きさを強く感じます。本来ならその子供の本来持っている能力に応じて進路が決定されていくべきだとはおもうのですが、残念ながら現状はそのようになっていません

 私の勤めている地域では、公立の高校の力が強いため家庭環境による格差はまだ小さいようにみられます。小学校で成績上位の子供も地元の公立中学校に進む子供がほとんどです。しかし、さらに進学実績の高い公立高校に進学するためには、小学校の頃から学習塾に行かなければなりません。(3年間で中高一貫校の勝負するのですから当然と言えば当然なのですが)

 10時までやっている学習塾で、当然送り迎えになります。またその学習塾でもその学習塾がある場所によってレベルが違っています。ですから、中心部にある学習塾に入れることも必要になってきます。

 小学校高学年で学力テストを行うと、山が二つできます。一つの山は保護者が教育に力を入れている家庭、もう一つの山は保護者が教育に力を入れていない家庭。親の経済力がその子の一生を決めてしまうことが多くみられます。この二つの山を見ると教育の格差というものを強く感じます。

 教育に力を入れている保護者からみれば、子どもが将来経済的に困らないようにするために力を入れているのだから当たり前ということになってしまうのです。

 残念ながら公立の小学校で身に着けることはできる学力には限りがあります。算数で少人数で学習している小学校も多くみられます。しかし、クラス分けは「単純に名簿番号で分ける。」「本人の希望でコースを選ぶ」ことになります。算数の担当の教員がその子供の学習レベルによってクラス分けをするということはめったにありません。

宿題で同じ漢字を何度も練習しているようでは本来の能力を伸ばすことはできないのです。何をどのように学習したらよいか、本来なら学習塾で考えてくれることをその子供が見つけなければならないのです。

教育格差について、どのようになくしていくのか。自分にもどうしてよいのか分からないといったことが本当のところです。

わたしの知っている人に、家庭の農業の手伝いをしながら、有名公立高校そして京都大学の法学部(その人が受験するときには、東大は入試がなかったので)に進み司法試験に合格して弁護士をしているという人を知っています。もうそういった人は出てこないのでは。