カエルの子はカエルについて

カエルの子はカエルについて

 今日は教員の子供は教員が多いと言うことを功罪含めてお伝えしたい。

私の父親は教員だった。自分にとって教員という職業は身近なものだった。そして高校3年生の時の進路決定の時に地元の教育大学を選んでしまった。そして見事に?合格。しかし、そこで自分の人生が見えてしまった。地元の学校で教員生活を送りそして定年を迎えるというライフスタイル。さらに妻は職場(小学校)で出会う。ただ子供は教員にはならなかった。私や妻がいつも教員の仕事に対する愚痴を言っていたからだろうか。

また、学校の周りの教員も父親や母親が教員をやっている(やっていた)人という教員も多い。

教員以外の職業を知らないまま教員になる

本来後を継ぐような職業ではない。問題なのは、教員が教員以外の職業を知らないということである。それでいて、子供には多様な社会について話をしなければならないし、進路選択にもアドバイスをしなければならない。また、大学では就職活動はしない。全て夏休みに行われる教員採用試験に向けての勉強である。

教員に対する十分な思いがないまま教員になる

教員養成大学に進んで教員になるという進路選択を高校3年生、18歳で決めなければならない。特に教員になりたいという強い思いもないまま、適性があるかどうか考えることもなく教員になっていく。子供が好きとか嫌いとかいうことも関係ない。教員養成大学に進んでも、一般企業に就職した人もいるがごく僅かである。教員養成大学以外に進んだ場合でも、1年生から教職の授業を取らなければならない。本当に自分の進路について考えることができただろうか。

また教員養成大学の場合、教員になるのなら何も悩むことはない。教育実習もほとんど行くので迷うこともない。しかし、周りにいる人のほとんどが同じ採用試験を受け、同じ職場に行くというのは異様ではないだろうか。

小学校でも、総合的な学習の時間だけでなく情報教育、外国語教育も始まってきた。今までの教員では対応しきれないことが多くなってきた。これからの時代、多様な価値観を持った人が教員になるべきだと思う。そのためにも教員養成の制度を見直す必要があるだろう。