「『みんなと違う子だから発達障害』という考え方はなぜ危険なのか」という考えはなぜ危険なのか

「『みんなと違う子だから発達障害』という考え方はなぜ危険なのか」という考えはなぜ危険なのか

 

東京大学のる中邑賢龍教授が「みんなと違う子だから治療する、という考え方は危険すぎる」と警告する理由とは?

ヤフーニュースに載っていたので教員の立場から検証したい。

エジソンアインシュタイン山下清など他の子供と違っている子供が、人類の進歩にとって欠かすことができない発見や素晴らしい芸術作品を残したという例はいくらでもある。違っているからこそ、他の人間にはできない発想ができると思う。

 

教室の中にもある一定数「みんなと違う行動」をとる子供がいる。一人一人を見れば個性的で愛すべき点も多い。しかし、教員は40名近くの子供を一人で担任していると言うことは理解していただけているだろうか。学校という一面だけでは、その子の個性は生かしきれない。その通りである。そのためにも学校外の活動場所が必要になる。その子の個性を引き伸ばすことができるような場所を設けてほしい。

なぜ学校教育では、みんなと違う行動をとる子供の個性を生かすことができないのか。そこには学校での教育の限界がある。

 

教員が少ない

 特に若い教員については、学級経営で手一杯で特別な支援が必要だったり、他の子供と違った行動をしたりする子供に対してどのように接していいのかわからない。

例えば体育で運動場へ移動するときに、カーテンに隠れて着替えていない子供がいたらどうしたらいいのか。他の子供たちはもう運動場へ動き出している。そうした場合誰が子供たちの面倒を見るのか。

 

体制ができていない

 学校では時間割があり、それに従って授業が進められている。図工の時間は週に2時間。いくらもっと時間が欲しいと言われても、その子供一人のために、それ以上延長することはできない。(家に帰って作らせるというのは、保護者が手伝うなど評価の面から考えると難しい)

 

続く