「子どもの心・尊厳を傷つける精神的暴力をいかに止めるか 「叱る教育」は必要ない」について

「子どもの心・尊厳を傷つける精神的暴力をいかに止めるか 「叱る教育」は必要ない」について

 

 ヤフーニュースでこのような記事があった。自分も60歳を過ぎてこのような「叱る教育」は必要ないと思えるようになった。しかし、若い頃は叱ることで子どもを従わせていた。「叱ること」=「指導」と思っていた。

 この記事の欠点は教員の立場での意見が全く書かれていないということである。そのために、なぜ教員が「子供の心や尊厳を傷つけるような指導を行うのか」という根本的な問題が解決できない。さらに解決方法も示されていない。

 

どうやって指導すればよいのか分からない。

 教員をやるような人間は尊厳を傷つけられるほどの叱責は受けていない。どちらかというと素直に教員の言うことに従ってきた人が多い。だから、指導に従わない子どもの心など分かるわけがない。そのため

どのように指導してよいのか分からない。

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子どもが従わない。

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見せしめ、脅すなどの方法で子どもを従わせる。(20年ほど前には体罰が加わっていた)

 

 体罰が禁止されて、出てきたのが連帯責任。「〇〇君が悪いことをしたので、お楽しみ会はやめます」などは教員がよくやる方法。この結果「〇〇君がいなければいいのに」ということになり「いじめ」が発生する。これは教員がいじめを認めているようなもの。

 

叱ることで認められる社会

 叱らないで教室が荒れていたら、しどうができていないと言われてしまう。授業中うるさければ叱って静かにさせるしかない。(授業がうるさいのは子供に責任があるという考え方がはびこっている)また、年上の教員が叱っていれば、叱るしかない。残念ながら教員の世界というのはそんなものである。

 

指導の方法が確立していない

 教員の個人技によるところが大きい。どうやって指導するのか、個々の状況で違うことは分かるが適切な方法が分からない。問題行動を起こせば何らかのペナルティーは必要だと思う。

 私は教えてほしい。中学生がたばこを吸っていた。この中学生にどのように指導をすればタバコをやめさせることができるのか。解決方法も示さずに批判するのは「卑怯」以外何かあるだろうか。

 

 数年前にアメリカの映画の中に主人公の少年が悪いことをして叱られる場面があった。担任は校長のところへ行くように言い、その子を校長が指導していた。これなら感情的にならず「指導死」は防ぐことができるように思った。「指導死」についてはまた考えたい。

 

 映画はクリントイーストウッド監督の「15時17分パリ行き」という映画だった。