めだかの学校について考える

めだかの学校について考える

 

 「めだかの学校は川の中、誰が生徒か先生か・・・。」のめだかの学校である。今の学校では「めだかの学校」が増えてきているように思う。

 窓から運動場を見ていると子供たちと一緒になって鬼ごっこをしている先生がいる。正しく「めだかの学校」状態。「子供の心を掴むには一緒に遊ばなければならない」と信じ込んでいる教師の多いこと。しかし、こんなことをしていて子供たちから教師として認められるのだろうか。低学年のうちは教師の方が体力的にも勝っているが、高学年になれば子供たちの方が足も早くなる。さらに仲間という感覚は非常に危険である。子供が教師の名前を呼び捨てにし、教師の方が子供の名前に「君」や「さん」を付けている。

 教師の中には平等ということを間違って理解している人もいる。教師は学級教育活動全般に責任を持っている。子供同士は平等であっても教師と子供とは平等ではない。しかし、平等では無いことを教師が理解できているかも問題。指導者としての確固たる信念が必要である。

 放課に職員室に戻ってきても、他の教師とはほとんど顔を合わせない。放課に同じ学年の先生と一緒に話をすることもない。せいぜいお茶を一口飲むと走って教室に戻っていってしまう。このような状態で良い授業ができるのだろうか。教師は子供達に尊敬されるべき存在だと思う。

 

 教師の1番の仕事は子供を社会に送り出すことである。そのために必要な知識や判断力を与えることのはず。一緒に遊ぶことよりもより良い授業を目指す方が子供達にとっても教師にとっても有意義ではないだろうか。

 明日は怒ると叱るの違いについて考えたい。