心を病む教師3

心を病む原因には教師をやっている人の特性もある

 

責任感が強い教師

 教師をやろうと言う者は小学校の頃に学級や児童会の委員長を任された経験を持っている場合が多い。担任の先生の言うことを素直に聞き真面目に取り組む。このことで周りから認められてきた。責任感だけは人一倍あった。

 その人が教員になって学級経営がうまくいかない、誰にも自分がうまく行っていないことを知られたくないために、誰にも相談できない。自分一人の力でなんとかしようともがき苦しむ。それでも簡単には復活しない。学級が荒れたのは担任の責任という風潮もある。そしてとうとうもうギリギリのところになってSOSを出す。もう手遅れ、精神的にも限界を超えてしまう。

 もっと早く誰かに相談すれば心を病んで休職に追い込まれることはなかったかもしれないのだが。

 

できない子の気持ちが分からない

 新任の頃には、テストを採点しているとどうしてこんな簡単な問題がわからないんだろうと自分の指導力のなさを棚に上げて子供のせいにする。自分勝手な授業をやっていけば子供たちの心は教員から離れていく。学級がだんだん思い通りならなくなってくる。また子供の離席が目立つようになる。しかし、教員には自分が離席したり先生から叱られた経験が少ないために子供の気持ちが分からない。悩んでいくうちに教員の心が壊れていく。

 

授業・部活以外の仕事

 教員の仕事は授業と部活だけではない。学芸会や運動会の企画も教員の仕事である。そういった担当は異動していった先生の後に転任してきた教員がそのままなることが多い。その場合昨年までの起案を見て今年度の計画を立てる。しかし、何も分からないので、昨年の起案の担当の名前だけ変えて出す。(この頃は昨年までのデータが残っているので、名前を帰るだけで住んでしまう)そのために進め方が理解できないまま行事を迎えることになる。

 しかし、起案だけでできるわけではない。例えばマイクの端子をどこに繋ぐのかなど、細かいところまでは書かれていない。うまくいかなければ担当に聞くが、担当が一番分かっていないということもよくある。長年いる教員が仕切って進めていく。

 また、教科書の担当をする教員もいた。学年初めのジムだけでなく、転校していく子供がいればどこの教科書を使っていたのか連絡する仕事がある。これも人数が多いと結構な仕事量になる。これもかなりのストレスになるし、教員になる前にはこのような仕事があるとは思っていなかった。

 

 ブログにまとめていて過去のことを思い出す。書くことがだんだん嫌になってきた。心を病んで休職するまでには至らなかったが、かなり辛い経験も私自身ある。手助けを求めようと思っても、自分の責任だと思えば自力でなんとかしようと苦しみもがくことになる。年に何度も胃が痛くなることがあった。