入学式準備-特別な支援が必要な子-

入学式準備-特別な支援が必要な子-

 新年度が始まりました。入学式に向けて不安がだんだん大きくなってきている保護者の方も多いのでは。「式の途中で大声を出したり、逃げ出したりしないだろうか」「保護者から離れて大丈夫だろうか」など心配は尽きないと思います。特に支援が必要な子にとっては初めてなことも多くて心配になってくると思います。

 そんな保護者の方が少しでも安心できるための作戦を3つ考えてみました。

 

入学式のリハーサルをしてみましょう

入学式の前日には準備をしています。学校に電話をして卒業式の会場を見せて貰えないか頼んでみてください。一緒に学校までランドセルを背負ってリハーサルをしてみてください。それで子供の不安もかなり解消されるはずです。

特別支援学級に入学してくるお子さんには、前日学校に来ていただき、一緒に入場するところからリハーサルしたこともありました。

 

お守りを作る

保護者やペットなど子供の気に入っている写真を持たせてみましょう。「このお守りがあるから大丈夫!」と何度も唱えることで信じ込ませてしまうこと。

 

ネガティブなことを言わない。

「こんなことしていて大丈夫?」「こんなことしている1年生はいないよ!」などの言葉が子供の心を傷つけていきます。「〇〇できなければいけない」など決めつけてしまうこともNG。言いたいことは色々あるとは思いますが、子供の頑張っているところや「大丈夫」と安心させてください。無理にいいところを見せようと思わないこと。

 

保護者が開き直ること

最後は保護者の方が開き直ること。1年生は色々な子供がいます。入学式の途中で泣き出したり、座っていられなかったりするのはよくあることです。保護者の方の不安が伝染しないようにしてください。

 

 これからの6年間は子供にとっても長いです。成長の速さは人それぞれです。今できないことも6年間でできるようになります。子供の成長を信じてみましょう。

入学したら-保護者の方へのお願い-

入学したら-保護者の方へのお願い-

 入学して小学校での生活をうまく送ることができるように、心の負担を持たせなくてもいいように保護者の方にはお願いしたいことが ある

 

1担任の悪口を子供の前で言わない

入学式・始業式から子供が帰ってきて、1番の関心事は担任の先生が誰なのかということではないでしょうか。今年の担任は当たりとか外れとかラインでは盛り上がってくると思います。(担任の知らない間に保護者のライングループができているらしいですね)子供にとって自分たちに接してくれる大人は保護者の方と担任だけ。原則ボールも上手に投げることができるし、字も上手だし、担任はクラスの人気者。その子にとってアイドル?なのです。悪口を聞けば、嫌いになります。嫌いな人の言うことを素直に聞くことができるでしょうか。

担任以外でも周りにいる友達や家族の悪口も子供の前では控えてください。

 

2他の人と比べない

懇談会で「姉はきちんと勉強するのに、どうしてこの子は何回言ってもやろうとしないのでしょうか」よくこのような話を聞きます。しかし、兄弟や友達と比べて子供はどう思うでしょうか。保護者は頑張ってほしいと言う思いから言っていると思いますが、それが重なれば劣等感につながります。自己肯定感が低くなれば、頑張ろうと言う気持ちも無くなってしまいます。ぜひ目の前の子供の頑張っているところ、優れているところを見つけて話してください。

 

3「頑張れ」と言わない

「頑張れ」と言われて、何を頑張ればいいのでしょうか。私たちは、何かあると「頑張れ!」と言ってしまいます。それで妙に納得してしまうのですが、これでは何も変わりません。「何を」「どのように」すればいいのか具体的に教えてあげることが大人の責任です。

 

この1、2、3に書いたことは、ついやってしまいがちなことです。しかし、少し大人が気をつけるだけで子供たちの自己肯定感を高めることにつながるはずです。

 

小学校入学前にできること

入学前にできること

 教員にとっても春休みはどんな教員が異動してくるのだろう。どんな子供がいるだろうか。どんな学級にしようかなどワクワクドキドキする期間になります。

 小学校に入学することを楽しみに待っている新入生もいるのでは。入学をスムーズに進めるために、保護者の方にお願いしたいことを4つお伝えします。

 

禁句「そんなことをしていると先生に怒られるよ」

 学校や教員に対して恐怖感を与えることは絶対にNG。新しい世界に対して不安な気持ちがあるのに、さらに追い討ちをするような言い方はやめましょう。不登校にさせないためにも、学校は楽しいところだと思えるようにしてください。叱る時には、その行為に対してどうしてダメなのか教えてあげてください。

 

入学準備は一緒に

入学の準備はどの程度進んでいるでしょうか。筆箱、鉛筆、上履き、体育館シューズ。入学してくる子供はほとんどが新品の学用品を持ってきます。大切にしようとその時は思っているはずです。そのためにも一緒に名前を書いてほしいのです。大人でしか書くことができない分かりやすい字で書いてください。小学校で頑張ってほしいことなど話しながら準備を進めてください。

 

学校まで一緒に歩いてください。

家の近くで毎日歩く道ですが、ぜひ子供の視点で歩いてみてください。危険な場所はないでしょうか。車が飛び出してきそうな場所や歩道がなくなっているような場所はないでしょうか。また、子供110番の家についても確認しておくといいでしょう。110番の家でなくても、コンビニや店舗など何かれば助けを求めて良いことを話しておいてください。

 

「もう小学生になるんだから・・・」と言わない。

 成長の速さや成長の仕方はそれぞれの子供で違っています。「小学校に入学すること」と「一人で寝ることができるようになること」とは関係がありません。急にできるようにすればどこかで無理をしていることになります。

 

 とにかく、他の子供と比べたり、無理をさせたりしないことです。困っていることがあれば担任に相談してください。入学後に保護者の方に頑張ってほしいことは、またお伝えします。

小中学校とエアコン

小中学校とエアコン

 学校というところは、中からはなかなか変わらないが外からの圧力によって容易に変わるところである。

 数年前の話である。公立の小中学校の普通教室にはほとんどエアコンが入っていなかった。入っているのは職員室、保健室、図書館だけだった。やっと教室に2台の扇風機が入った。しかしいくら扇風機を回しても冷えない。

このところの地球温暖化を受けて、熱中症指数というものが出る。厳重警戒になることも珍しいことではなくなった、それぞれの普通教室にもエアコンを入れてほしいという話が出ていた。しかし、「夏休みがある」「財政的に無理」などの理由から行政には相手にされていなかった。私も普通教室にまでエアコンが入るようなことはないと思っていた。

数年前異様に夏が暑かった。そして小学生が授業で公園まで行き学校に戻ってきた時に熱中症で亡くなった。自分にとってもショックだったが、テレビや新聞も一斉にこの事故を伝えた。新聞にはそれぞれの市町村でのエアコンの普及率が掲載されていた。これで小中学校にはエアコンが入っていないということに気づいた人も多かったのでは。どの市町村も今後予算をつけて計画的に整備していきたいという回答しかなかった。一年で1校ぐらい。全ての学校に整備されるのは、何十年後なのかと考えていた。

しかし、ある市の議会でそのことが追求され、その市では2年ほどで全校への整備が行われることになった。一度動き始めると、動きは早い。2年で全ての普通教室に入ることになった。

 特に今年の夏はコロナのことがありエアコンは入っているが、窓も開いている。せっかくエアコンから冷たい風が出てきても、窓から逃げていってしまう。それでもないよりはマシのレベル。

 

愛がなくなって毒になった

体罰について考える

まず断っておく「体罰は絶対にだめ」ということである。どのような理由があっても容認できないことである。

「しつけのために子どもに体罰をすることについて、約4割の大人が容認していることが、公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの調査でわかった。」

この記事が朝日新聞に載っていた。この体罰、特に学校で行われる体罰について考えてみる。

また、学校で行われる体罰というのは教員の指導の未熟さを表している。子供になぜ今やったことが悪いことなのか納得させ、子供の行動を変えることができれば体罰など必要はない。それができないために体罰に頼ってしまうのである。また恐怖を植え付けることで従わせようとする。本来何のために指導を行うのか。それはより良い人間になってほしいと思うからである。なら体罰を行うことで、より良い人間になることができるだろうか。(時代劇なら水戸黄門桃太郎侍に成敗されている悪代官、アニメで言えば完全に悪役である)

「愛の鞭」などという言葉が聞かれなくなってかなり時間が経った。昔は「愛の鞭」と称して体罰が容認されていた。今は「毒親」という言葉が使われている。体罰から「愛」がなくなり「毒」になってしまった。「愛」は相手を思う気持ちがあるが、「毒」になれば相手を殺すことが目的となってしまう。

次の3点から体罰の許されないこと説明する。

遺伝する

 言葉で納得させるのではなく体罰で問題を解決しよう、自分のいう通りにさせようとする。体罰を受ける子供は、問題が生じたときに体罰、暴力で解決しようとする。自分の考えを論理的に伝えることができないのだから、当然力で言うことをきかせようとする。他人が我が子に「しつけ」と称して行ったら、親は許すだろうか。私ならどのような理由でも許すことはないだろう。

心の中まで従わせることはできない

 もし、自分が理不尽に叩かれたらどのように感じるだろうか。決して許さないと思うだろう。反感だけが残る。家庭や学校で体罰が行われるのは、そこに絶対的な上下関係があるからである。しかし、この上下関係はいつまでも続くわけではない。年が経つにつれて、体罰を受けていた子供は力をつけ親や教師は衰えていく。

心の傷になる。

 体罰を受けることで、体の傷だけでなく心にも傷を負わせることになる。さらに毒親による体罰は継続してしまう。エスカレートして止まらなくなってしまう。私も中学生の時に理科の時間鉛筆で友達と遊んでいて、教員から殴られたことがある。殴られたことは、自分に非があったと納得できている。しかし、45年ほど前のことなのに、今でも覚えている。

 日本にはまだ体罰を容認する人が多い。これもその人が小さかった時に体罰を受けたということかもしれない。学校から体罰をなくして行くことが必要である。

 

卒業式の裏側 2

卒業式の裏側 2

卒業式の練習が始まる。小学校の思い出のアンケートを出す。1年生、2年生と分けて書かせる。そのアンケートを元に「呼びかけ」の原稿が出来上がる。全員の子供が一言言えるように役割を振っていく。声が大きくてよく通る子。児童会で活躍した子など適材適所を考える。3分の1程は今までの年と同じ言葉を使う。思い出の部分はできるだけ作った本人がその言葉を言うように考える。それでも抜かすことができない決まり言葉もある。原稿を考えながら子供の姿を思い出す。

実際に体育館での練習が始まる。歌と呼びかけが中心となる。そして名前を呼ばれて、返事をして校長のところまで卒業証書を受け取りに行く。礼、歩き方、卒業証書の受け取り方の練習を行う。

練習を始めることで卒業に向けての心構えができていく。さらに卒業証書をもらうときに担任が一人ずつ名前を呼ぶが、その時に間違えて読んでしまってもそのまま返事をする練習まで行う。何度も練習するにで、新鮮味がなくなってくる。途中で一度「本当に卒業する気持ちがあるのか」と喝をいれる。ここで子供達に対する思いを伝える。

さらに練習の終盤には、来賓挨拶の時の礼の仕方の指導をする。来賓には今まで担任していただいた先生にお願いする。来賓の挨拶の練習ではあるが、担任した時の話や卒業生に対する花向けの言葉をお願いしている。(事前にお願いしておく)

前日、黒板に絵を5年生の子供や教員が描く。一部分は残してもらっておいて、担任が最後の言葉を書いて黒板は完成する。

卒業式当日。女性の担任は袴を着ることが多くなった。着付けのために、朝5時に起きて美容院へ行ったなどの話を聞く。男性教員は礼服を着るだけなのでそれほど手間はかからない。教室や昇降口で子供達を出迎える。教員はほとんど何かしらの係分担があるが、6年生の担任は仕事がない。

教室から体育館までは先導して行くが、入場してからは子供たちだけで進めていく。特に「呼びかけ」「歌」「退場」は担任としては子供達を見守ること以外何もできない。「歌」は一生懸命に涙を堪えている子、もう肩をしゃくり上げている子、逆に何事もなかったかのように堂々と歌う子など様々。この瞬間が一番好きである。

そして退場して教室に戻ってきた子供達に「卒業おめでとう」と言い、卒業式が終わる。

 

卒業式の裏側 1

卒業式の裏側 1

コロナ前の卒業式について少しお話をして行きたい。(自分の勤めていた地区での話なので、県や市町村が違っている可能性大)コロナのために随分卒業式も姿を変えてしまった。コロナ後の卒業式は練習も少なく、簡素になった。本来卒業式はこれでいいのかもしれないと考えている。ではコロナ前はどのような卒業式だったのだろうか。

6年生の3学期は忙しい。

卒業文集を作る

3学期が始まると、早速係を決めて文集作りが始まる。原稿用紙にまず書かせる。昔は誤字脱字のみ見ればよかったが、この頃は大人になって見返しても問題のないように配慮する。(テレビでその人が書いた卒業文集が映されることもあるので)将来の夢もきちんとしたものにする。

「将来〇〇しそうな人これはまずNG。」20年ほど前はかなり流行っていた。しかし、子供たちは何も指導しないとエスカレートしていく。「お笑い芸人やユーチューバーになりそうな人」ぐらいならいいのですが、「将来泥棒になりそうな人」など一種のいじめにもつながる。

卒業式の準備を始める。

卒業式で行う「呼びかけ」の原稿を作り始める。入学してから心に残ったこと、委員会の思い出、保護者や地域の人、教員に対するお礼の言葉など。一応は子供達の言葉の中から拾っていく。

並行して2月には「卒業生を送る会」の練習がそれぞれの学年で始まる。5年生の子供たちが中心となって全校を初めて動かす。実際には5年生の(成長)ための送る会だと思っている。

3月に入ると卒業式の練習が始める。コロナが流行る前は「旅立ちの日に」や校歌の練習が始まる。歌が聞こえてくると卒業式が近づいてきたことを感じることができた。卒業式の練習は6年生のみの練習から始まる。卒業するという気持ちもだんだんできてくる。教室には「卒業まであと○日」というカレンダーが見られるようになる。

 

 コロナさえなければと強く思う。しかし、コロナが治ったとしても前のような卒業式には戻らないだろう。それは、今まで惰性で行ってきた部分、練習があったこと。コロナによって何が本当に必要なのか見えてきたことによる。