教員しか知らない春休み

教員しか知らない春休み

 

 わたしの勤めている小学校では昨日(3月24日)が修了式。(1学期と2学期の終わりは終了式)1年の終わりである。久しぶりにスーツを着ていったのだが、服が縮んでしまいたいへんだった。放送での終了式なので普通の服でもよかった。

 3月31日までは骨休め

 教員は春休み何をやっているのか知っているだろうか。これはわたしが務めている地域の場合であるが春休みは3月31日までと4月1日から入学式とで分かれている。前半は年度末休業。今まで使っていた教室の片づけなどを行う。異動がなければ気楽に過ごすことができる。この時期休みを取る教員も多い。1年生の担任は早めに発表されるので、住宅地図で家を確認して、下校の時の班を決めていく。

 4月1日から忙しさが戻ってくる

 4月1日からは目が回るほど忙しくなる。1日に担任の発表がある。ここからは教室の準備や時間割の決定。特別教室の割り当てや教科担任の受け持ち時間を聞いて時間割を組む。4月中の行事についてもすぐに案を出さなければならない。異動してきた教員は訳が分からないまま提案しなければならない。(大抵のことは昨年通りで問題ない)出された案について、部会で相談して職員会議に提案する。

 入学式まで部会、学年会、職員会などの会議が続く。会議の合間に新しい教室の準備をする。前の教室で使っていた私物を新しい教室に移動させる。担任する子供のネームプレートを作ったり、学級通信の1号を作ったりするのはワクワクする。新しい教科書を見て、どのように授業を進めようか考えるのも楽しい。

 

 子どものことで学校に連絡すると、3月31日までは今までの担任が対応するが1日からは新しい担任が対応する。(もっとも誰が担任なのかは教えてもらえないが)

 

 新入学の子供や保護者もワクワクしていると思うが、この時期の教員も新しい出会いを楽しみに子供以上にワクワクしている。

いじめからは逃げて!

いじめからは逃げて 名古屋市女子中学生自殺事件について

「今月9日に亡くなった名古屋市立中学1年の女子生徒について15日、名古屋市教育委員会はいじめによる自殺の疑いがあるとして、事実関係を調査し始めたことを明らかにしました。」本当に胸が痛む。担任には相談していたらしい。(同じ教員として責任を感じます)

 

いじめが分かった時の対応について

担任がだめなら教育委員会

一応担任には相談してみてください。そして具体的にどのような方策をとってくれるのか確認してください。子どもがいじめられていることを隠すことも多いので、日ごろから子供の持ち物、スマホなどには特に注意していてください。そして教育委員会にも相談してください。担任だけの対応では遅れてしまうことがよくあります。(教育委員会からの連絡があれば校長→担任とすぐに対応します)

中学校に勤務していたこともあるので分かるが、女子本人から相談があるというのは相当深刻な場合が多い。多少のことなら我慢してしまう。しかし、実際に怪我や金銭面での恐喝などなければ、周りの大人にその深刻さに気が付いてもらえないことも多い。

所詮教員のほとんどはいじめに対して素人です。(残念ながら)中学生の頃、いじめとは無関係で過ごすことができたから今教員をやることができるのです。

 

逃げて

とにかく逃げて。いじめから逃げる方法はいくらでもあります。乗り越える必要は全くありません。いじめから逃げることは全然卑怯ではないのです。転校すること、引きこもること・学校を休むこと(無理して学校に行く必要はありません)クラス替えを要求すること。自殺を考えるほど悩んでいるなら逃げてほしい。大人になれば、嫌な思い出くらいになるはず。(いじめていた子はいじめていたことを忘れ、普通に大人になり家庭をもっていくのです)

 

今から25年以上前の話中学校に勤めていた時に隣の中学校で自殺があった。帰りにその中学校の前を通った時、報道の車が多く止まっていた。なんだろうと思いテレビを見ると自殺報道であった。その時は周りがどうして気づくことができなかったのか、何か防ぐ手立てはなかったのか。

文房具やノート、教科書の名前は大人が書く

文房具やノート、教科書の名前は大人が書く

 新年度に向けて、ペンケースなどの学用品を買われた家庭も多いのでは。記名はぜひ保護者に書いてほしい。中にはもう名前が書けるのだから子どもに書かせている家もあると思うが、子どもの学びを考えるとマイナスが多い。学校に行けばプリントなど嫌というほど名前を書く。特に記名する場合名前ペン(油性ペン)を使って書く。やり直しが難しい。特に小学生では、字が枠に収まらない、ペン先が潰れて何て書いてあるのか分からないことも多い。

 保護者が丁寧に子供の名前を文房具などに書くこと以下の3点でプラスになる

 

なくすことが少なくなる

  文房具などになぜ名前を書くのか。それは落としたりした時に誰の物なのかはっきりさせるためである。落とし物を見ると名前が書かれていなかったり、読めない字で書かれていたりすることが多い。学校では名前が書かれていれば、すぐに持ち主に返っていくのである。

 

子供がノートに丁寧に字を書くようになる。

教科書やノートに書かれて名前は子どもが毎日見ることになる。名前が下手なら、中に書かれている文字がどうなるか、言うまでもない。係活動で「配達係」というものがある。宿題のノートなど担任のチェックが終わった後係の子どもが返す場合もある。その時に子どもの字では判別できないことも多い。

 

自己肯定感を高める。

  さらに名前を書くときには、どのような思いで名前を考えたのか話してほしい。自分の名前に由来にあらためて気づき保護者の思いを知ることができる。そうすれば自己肯定感も高まるはず。

  

物を大切にする心が育つ。

字が上手でない、など名前を書くことに躊躇される方もいるかもしれない。大切な子どもの名前、練習することも大切。忙しいかもしれないが、昔は算数セットの数え棒一本一本に名前を書いたものである。それでもダメならテプラやネームランドでもいいと思う。保護者の方が一生懸命に自分の名前を書いてくれたというだけで、その物に対する愛着も増すはずである。

せっかく新しく買った文房具でも名前のところがはみ出ていたり、名前が読めなかったりすればだんだん愛着も薄れ、使い方もいい加減になってくる。

 

落とし物など見ると、名前がせっかく書いてあるのに薄くなって読めなかったり子供の書いた字で誰の物なのか分から買ったりすることもある。一度点検してほしい。

教員を殺す記事(福島民報)3

教員を殺す記事(福島民報)3

自分の体験をお話ししたい。私の場合3学期に3度入院した。最初に入院したのは1995年。入院して病室でテレビを見ているとサリン事件を伝えるニュースが流れていた。胆嚢にポリープが見つかったために取ることになった。入院だった。修了式を終えて1週間ほど入院する。

また、15年ほど前に心筋梗塞で入院したことがある。1月下旬で6年生の担任をしていた。前々から胸の辺りが苦しいと感じていたが、朝方とうとう我慢ができなくなり妻を起こした。そして一度学校へ妻に連れて行ってもらう。そしてその日の学習内容を他の先生に伝えてから病院へ行く。入った時は歩いて入ったが、すぐに車椅子に乗ることになる。2週間ほど入院。カテーテル手術を行う。その時に同じ学年を担当してもらっていたのが、2年目の先生だった。一人で卒業式の練習や準備をしなければいけなかったので心配だっただろう。

しかし、この記事を読んで「感動した」「素晴らしい先生だ」という感想をもった人たちからすれば、このような教員には担任してほしくないと思っただろう。また、無理をして卒業式後に発作を起こして死ねばそれだけで素晴らしい教員と思ってくれるのだろうか。

さらに2年前にも心筋梗塞で倒れた。その時には卒業式後から4月の中旬まで入院した。さらに自宅でGW明けまで自宅療養する。4月1日にはどうしても出勤したかったが、無理と言われ諦める。「自分がやらなければ」という思いが強かった。しかし教員の代わりはいくらでもいる。しかし家族にとって父親という存在はわたし一人しかいない。

復帰した後も少し走るだけで目の前が暗くなり倒れそうになった。

この記事を書いた福島民報の記者に言いたい。死を美化しないでほしい。教員を殺さないでほしい。日頃学校教育に対して、厳しい目を向けている人たちは、教員が死ねばそれでよしとするのか。誰も病気になりたくて病気になったわけではない。殉職などという美辞でこの死を美談にしてほしくはない。

 

 

「旅立ちの日に」が消えた卒業式

旅立ちの日に」が消えた卒業式

 YouTubeでたまたま目に止まった「旅立ちの日に」。今まで卒業式で何回聞いたことだろう。6年生の担任として、指揮をしたこともある。当然練習の時には、「もっと大きな声で」「姿勢が悪い」など注意することもあった。しかし卒業式では泣いて声が出ない子、顔を赤くして一生懸命に歌っている子。その歌を聴き、一人一人の子供たちの姿を見ながら、この1年間の思い出や一人一人の子供の姿を思い浮かべる。担任にとって今までの苦労がいっぺんでどこかへ言ってしまう瞬間。

 しかし、コロナ禍のために今年はその歌を聞くことができなかった。

 私の勤務している小学校でも先日卒業式が行われた。輝いて入場してくる子供たちの顔。しかし拍手するのは、保護者と教員のみ。例年いる学校の1年から5年生までの子供たちの姿はない。コロナのために参加できない。

  卒業証書授与では、担任が一人一人の名前を呼びあげると卒業生が「はい」と返事をして立ち上がり、卒業証書を取りに行く。担任は感慨に浸るよりも、名前を呼び間違えないことだけを考えているだろう。そして呼びかけ。ここで小学校生活の思い出、保護者や担任への感謝の言葉を述べる。6年生の先生たちが半分以上考えた文章であることは分かっているが、それでも子供たちの成長を感じる。

 小学校の卒業式は一生に一回しかない。子供たちは最後の最後までコロナに振り回されてしまった学年でもある。卒業して行った子供が今後自分の人生を切り開いて行って欲しいと願っている。

卒業式で子供が「旅立ちの日に」を歌える日が早く来て欲しいと願っている。

そんなことを思いながらYouTubeの「旅立ちの日に」を聴いた。胸が熱くなって涙がこぼれてしまった。(歳をとるとともに涙腺が緩くなってきている)

 

 

教員を殺す記事2

教員を殺す記事2

昨日「教員を殺す記事」と言う内容でブログに上げた。人の生き方を否定するつもりはない。しかし、もっと命を大切にしてほしいと言う観点から今日のブログを始めていく。

昨日現職で亡くなった先生は、最初に赴任した学校で一緒だった。その後中学校では柔道部の指導を行うぐらいの元気な人だった。昨年の2月に訃報が届く。癌だったとのこと。2学期からは入退院を繰り返していたと言う話を他の教員から聞く。卒業式前だったので卒業式の準備など大変だったと思う。ちょうどお子さんが教員になり、今年からという時期での訃報だった。

もう一人の先生について直接接点はなかったが、奥さんとは同じ学校の同じ学年を担当したこともある。亡くなられた先生も中学校に務めていた時にはソフトボール部の監督として浅黒くとても元気そうだった。この先生は昨年の12月ごろに訃報連絡が入る。

教員は「この行事が終わったら」と考えているうちに病気が進行してしまう場合がある。上で挙げた二人の先生の場合もそうだったのだろう。私も一昨年3月からGWにかけて病気(心筋梗塞)のために休んでしまった。通知表や入学式のことも気になった。医者に退院したいと言っても許してもらえなかった。そのときは自分がやらなければととても焦っていた。

しかし、GW明けに学校に出ていけば、提出書類も含めて全て終わっていた。申し訳ない気持ちになったが、次回に逆の立場になれば積極的に手伝いたいと考えた。

そして無事に定年退職から1年を迎えることができた。しかし二人の娘はまだ決まった相手がいるわけではない。まだまだ自分が生きていかなければならない。父親、家族の代わりはいないのだから。

二人の先生の冥福を祈る。決して二人が選んだ死ではない。家族のためにもっと生きたかったに違いない。

 

 

教員を殺す記事

教員を殺す記事

卒業見届け天国へ 福島東高教諭日高さん 教え子との時間大切に

について考える。福島民報にこのような記事があった。Yahoo!ニュースにも出ていたので知っている方も多いだろう。

福島市の福島東高教諭の日高郁子(ひだか・いくこ)さんは、担任する最後の卒業生を送り出した翌日の今月二日、六十年の生涯を閉じた。定年退職までの最後の一年間、がんに侵されていることを周囲に知られぬよう気丈に振る舞い、教壇に立ち続けた。絶対に卒業証書を手渡す-。体調が優れない中でも式に臨み、担任する三年七組の四十人と喜びを分かち合った。「先生、ありがとう」。教え子や同僚は突然の逝去を惜しみ、感謝の念を抱く。

この記事を読んだ人の反応はほとんどが「感動した」「こんな先生に教えて欲しかった」など美談として捉えている。

わたしはこの記事を美談として取り上げることに反対である。

教師は病気があっても休んではいけないのか。

教師も普通の人間であり、病気もする。しかし、病気になっても最後死ぬまで教壇に立たなくてはいけないのか。では、今病気で休んでいる先生はダメな先生なのか。入院してはいけないのか。死ぬことがいいことなのか。

この先生は途中でもしものことがあったらどうするつもりだったのか

 もし、卒業式前に倒れたらどうするつもりだったのだろう。3年生の担任なら受験生もいる。担任にもしものことがあったときに、子供への影響を考えなかったのか。調査書は一体誰が書くのか、進路指導はどうするのか、これは先生一人の問題ではない。

 私は、この先生は今年度、本当に目の前の子供たちを大切にしたいと思ったら、担任をすべきではなかった。

 近くにいた校長は休んでじっくり治すことをなぜ勧めなかったのか。

最終学年の担任となれば、進路指導などあり休むことは気が引ける。しかし、担任の代わりはいくらでもいる。

この先生は「命の大切さ」を教えることができたのか

 この先生は自分の命を大切にしたと言えるだろうか。家族の思いを大切にすることができたのか疑問である。家族なら1日でも長く生きてほしいと願うはずである。

 私の勤めている市では、昨年度2名の教員が現職で亡くなった。他にも数年に一人くらいは定年前に亡くなっている。

 もちろんご冥福をお祈りします。