教員を殺す記事

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卒業見届け天国へ 福島東高教諭日高さん 教え子との時間大切に

について考える。福島民報にこのような記事があった。Yahoo!ニュースにも出ていたので知っている方も多いだろう。

福島市の福島東高教諭の日高郁子(ひだか・いくこ)さんは、担任する最後の卒業生を送り出した翌日の今月二日、六十年の生涯を閉じた。定年退職までの最後の一年間、がんに侵されていることを周囲に知られぬよう気丈に振る舞い、教壇に立ち続けた。絶対に卒業証書を手渡す-。体調が優れない中でも式に臨み、担任する三年七組の四十人と喜びを分かち合った。「先生、ありがとう」。教え子や同僚は突然の逝去を惜しみ、感謝の念を抱く。

この記事を読んだ人の反応はほとんどが「感動した」「こんな先生に教えて欲しかった」など美談として捉えている。

わたしはこの記事を美談として取り上げることに反対である。

教師は病気があっても休んではいけないのか。

教師も普通の人間であり、病気もする。しかし、病気になっても最後死ぬまで教壇に立たなくてはいけないのか。では、今病気で休んでいる先生はダメな先生なのか。入院してはいけないのか。死ぬことがいいことなのか。

この先生は途中でもしものことがあったらどうするつもりだったのか

 もし、卒業式前に倒れたらどうするつもりだったのだろう。3年生の担任なら受験生もいる。担任にもしものことがあったときに、子供への影響を考えなかったのか。調査書は一体誰が書くのか、進路指導はどうするのか、これは先生一人の問題ではない。

 私は、この先生は今年度、本当に目の前の子供たちを大切にしたいと思ったら、担任をすべきではなかった。

 近くにいた校長は休んでじっくり治すことをなぜ勧めなかったのか。

最終学年の担任となれば、進路指導などあり休むことは気が引ける。しかし、担任の代わりはいくらでもいる。

この先生は「命の大切さ」を教えることができたのか

 この先生は自分の命を大切にしたと言えるだろうか。家族の思いを大切にすることができたのか疑問である。家族なら1日でも長く生きてほしいと願うはずである。

 私の勤めている市では、昨年度2名の教員が現職で亡くなった。他にも数年に一人くらいは定年前に亡くなっている。

 もちろんご冥福をお祈りします。