教員を殺す記事(福島民報)3

教員を殺す記事(福島民報)3

自分の体験をお話ししたい。私の場合3学期に3度入院した。最初に入院したのは1995年。入院して病室でテレビを見ているとサリン事件を伝えるニュースが流れていた。胆嚢にポリープが見つかったために取ることになった。入院だった。修了式を終えて1週間ほど入院する。

また、15年ほど前に心筋梗塞で入院したことがある。1月下旬で6年生の担任をしていた。前々から胸の辺りが苦しいと感じていたが、朝方とうとう我慢ができなくなり妻を起こした。そして一度学校へ妻に連れて行ってもらう。そしてその日の学習内容を他の先生に伝えてから病院へ行く。入った時は歩いて入ったが、すぐに車椅子に乗ることになる。2週間ほど入院。カテーテル手術を行う。その時に同じ学年を担当してもらっていたのが、2年目の先生だった。一人で卒業式の練習や準備をしなければいけなかったので心配だっただろう。

しかし、この記事を読んで「感動した」「素晴らしい先生だ」という感想をもった人たちからすれば、このような教員には担任してほしくないと思っただろう。また、無理をして卒業式後に発作を起こして死ねばそれだけで素晴らしい教員と思ってくれるのだろうか。

さらに2年前にも心筋梗塞で倒れた。その時には卒業式後から4月の中旬まで入院した。さらに自宅でGW明けまで自宅療養する。4月1日にはどうしても出勤したかったが、無理と言われ諦める。「自分がやらなければ」という思いが強かった。しかし教員の代わりはいくらでもいる。しかし家族にとって父親という存在はわたし一人しかいない。

復帰した後も少し走るだけで目の前が暗くなり倒れそうになった。

この記事を書いた福島民報の記者に言いたい。死を美化しないでほしい。教員を殺さないでほしい。日頃学校教育に対して、厳しい目を向けている人たちは、教員が死ねばそれでよしとするのか。誰も病気になりたくて病気になったわけではない。殉職などという美辞でこの死を美談にしてほしくはない。