日本語教室での指導を通して

日本語教室での指導を通して

 

 もうすぐ夏休み。今まで以上に短く感じた。学校行事がほとんど延期か中止になり季節を感じることが少なくなった。特に運動会が9月に延期になってしまった。途中まで練習していたが、またやり直さなければ行けない。

 そのよう中でも外国にルーツをもつ子供たちに対して日本語指導を行ってきた。その中で感じたことを記していく。

 

3ヶ国語を使うことができる子

 昨年いじめを受け、語学指導員さんと一緒に支援を行った子供がいる。髪の毛や皮膚の色の違いで差別やいじめをしようとする子供がいるのはとても残念である。その子は母語とまだ十分ではないが日本語、そして英語を使うことができる。特に英語は韓国ドラマを英語の字幕で観ているとのこと。いじめている子供よりも将来的に伸びるはず。

 

宿題だけは同じ

 日本語教室に来る子供にも同じように宿題が出される。夏休みも高学年となればポスターや作文、読書感想文の宿題がある。1文書くのにも苦労している子供たちに書くことができるだろうか。作文など母語で書けばいいのにと意地悪く考えてしまう。

 ポスターや自由研究もしっかりと趣旨を説明すべきだと思う。一番良くないのは、宿題を出しておいて「やってこなくてもいい」とか「できる問題だけでいい」という言い方だろう。やってこなくていいなら宿題を出さなければいい。

 

外国にルーツをもつ子供に対して教師ができること

 なかなか担任も忙しいし、その子意外にも目を配らなければいけない子供がいることも分かる。なんとか言葉のハンディを埋める工夫ができないだろうか。例えば、国語以外の教科のテストにルビを付けるだけでもいい。忙しければ日本語教室の担当に依頼してくれればいい。

 

特に理解して知っておいてほしいのは「学校で習っていないことはわからない」ということである。このことについては日を改めて。