映画について(鬼滅の刃と三国志)

映画について(鬼滅の刃三国志

 

 年に6回ほど映画館まで映画を見に行く。シニア割引というものがあり千円少々で見ることができる。先日も娘と「鬼滅の刃」を見てきた。金曜日の朝10時からだったが、7割ほど埋まっていた。特に両隣にも客が入っていたので驚く。ソーシャルディスタンスは関係ないのか。

 泣けるほどではなかったが、時間が短く感じられた。行く前にYouTubeなどで話の流れを確認していった。時代的にも自分の父親の時代(大正7年生まれ)。大正デモクラシーという言葉を思い出す。

 

 ここで話題にしたいのは、「鬼滅の刃」ではなく、その時の映画の宣伝で観た「三国志」である。今まで三国志は中学生の時と50代半ばの2回読んだ。想像を膨らませ、中国の広大な国土に思いを馳せた。(当然吉川英治の作品)私の中で諸葛孔明は神経質、やや中性的なところがあって目鼻立ちがはっきりしている。(そういえば要潤が演じていた映画もあった。これならイメージを壊さない)劉備玄徳は小柄だが落ち着きのある青年。

 勝手にイメージを作っていたが、今回の映画では玄徳を大泉洋、そして孔明ムロツヨシ。配役的やコメントを聞いていると自分の中で全く受け入れることができない。これから三国志孔明のを想像した時にムロツヨシが出てくるのは許せない。さらに三国志をコメディーにするのもやめてほしい。

 子供に文句を言うと「観にいかなければいい」と言われてしまった。

 

閑話休題

 数年前に、娘と「君の名は」を観にいった。何の予備知識も入れていなかったので「いつになったら愛染かつらの木が出てくるのだろう」(分かる人はもう少ないと思う)と思っているうちに寝てしまった。後から娘にひどく怒られたことを思い出した。