コロナ禍で思うこと

コロナ禍で思うこと

 

 昨年度は、休校が続いたために夏休みも2週間ほどになってしまった。今年度は通常通りの夏休みに戻った。しかし、昨年度は漠然とした怖さだった。今年度はコロナの恐ろしさが見えてきたし、実際に学校でもコロナに感染したというメールが入るようになった。当然誰が感染したのかというのは分からない。

 

 2学期が始まれば学校でクラスターが発生することを危惧している。かなりの割合でクラスターが発生するのではないだろうか。学校ではマスク以外ほとんど対策は変わっていない。さらに子供たちのコロナに対する意識は決して高くない。ソーシャルディスタンスとは関係なく近づいている。また体育の時間には十分に間隔を取った上でマスクを外している。

 

コロナで変わったこと、変わらないこと

 コロナで変わったことといえば、行事がかなり精選されたことである。全校集会も体育館ではなくズームでそれぞれの教室で見ることになる。昨年は運動会が無くなった、今年度は延期になったが、この状態で開くことができるかどうか分からない。実際に無くなったり形を変えたことで何か問題が起こっただろうか。

 

変わらないこと

 学校での給食はほとんど変わっていない。配膳、食事、片付けの手順は変わっていない。授業も教員が教え、子供が学習課題に取り組むことなど学校の根本的なことは変わっていない。運動会についても、延期はされたがなくなるまでにはなっていない。

 

 もっと根本的なことで学校が変わっていく必要があるのではないだろうか。学校はなかなか自力では変わることができない。このコロナ禍という外圧で変わることができるのではないだろうか。