「『みんなと違う子だから発達障害』という考え方はなぜ危険なのか」という考えはなぜ危険なのか4

「『みんなと違う子だから発達障害』という考え方はなぜ危険なのか」という考えはなぜ危険なのか4

 

 今回も実際に担任した子供のことについて書こうと思う。しかし、かなりフェイクを含むことを先に断っておく。

 

絵を描こうとしないB君

 B君も1年生の時に担任した子供だった。知的な面ではほとんど問題はなかった。しかし授業中全く声を発することはなかった。家での様子をお母さんに聞くと、「ミニカーが好きでよく並べて見ている」ということだった。

 

カンセラーがいない

 場面緘黙を疑ったが、そのころはカウンセラーもいなかったので相談できる人がいなかった。学校生活の中で声を出さないこと以外問題はなかった。ただ図工で絵が描けない。不得意な子供なら、担任が輪郭を描いたり、色塗りを手伝ったりすれば描き進めることができた。

 

描こうとしないB君

 しかしB君はこちらがやり方を示しても全く動かない。いろいろやり方を示していく中で、B君の思いと合うとしばらく書き進めることができる。また止まってしまうと、同じようにいろいろやり方を示す。その繰り返し。教員は一人しかいないので、B君のために使うことができる時間も限られている。

お母さんともB君のことで相談したことがある。しかし、家庭では結構活発に遊んでいるとのこと。あまり心配されていなかった。

 

どうしたら良いかわからない

 次の年になり、担任からは場面緘黙の話などが出た。自分としてもどうしたら良いか迷っていた。場面緘黙の子供を担任したのは2度目だった。1回目は自分が喋れるようにしようといろいろ取り組んでみたが無駄だった。今のようにネットでなんでも調べることができる時代ではなかったので、どのようにして場面緘黙児に指導すれば良いかわからなかった。

 

教員を支援するシステムを

 発達障害や他の子供と同じ行動ができない子供に対して支援するシステムはあるが、そういった子どもたちを担任する教員に対して支援するシステムはない。実際教員は教室に入ってしまうと孤独である。誰も助けてくれないのである。目の前の子供に対して適切な支援ができるような支援システムがあれば、子供のためにもなるはずである。