「『みんなと違う子だから発達障害』という考え方はなぜ危険なのか」という考えはなぜ危険なのか3

「『みんなと違う子だから発達障害』という考え方はなぜ危険なのか」という考えはなぜ危険なのか3

 

 今日は実際に担任した子供のことについて書こうと思う。しかし、かなりフェイクを含むことを先に断っておく。

 

 保護者との捉え方が違っていたAくんについてお話ししたい。A君は1年生の時に担任した。自閉症傾向が強くなかなか授業に参加することができなかった。A君は電車のことが好きだったので、そのことについては共通の話題ができた。電車の話をすると目を輝かせていた。A君の頑張りを認めるために特製のシールを作った。それは蒸気機関車のイラストをシール用紙に印刷してシールにした物だった。これは結構A君も喜んでくれた。

 

学芸会でがんばったけど

 問題は学芸会だった。A君にとって耐えられない時間だった。そのために途中で座り込んでしまったり、舞台から逃げてしまったりすることもあった。その時に考えた目標は「最後まで舞台の上に立っている」ということだった。

 学芸会の当日A君にも頑張るように伝えた。なんとか最後まで舞台の上に立っていることができた。

 見に来ていたお母さんに早速A君の頑張りを伝えたところ、「でも鍵盤ハーモニカの指が動いていなかった」との声が戻ってきた。その時は落胆した事を覚えている。

今だったら保護者に対してももっと違う対応ができたと思う。

 

言葉がきたない

A君の日常生活を見ていて、気になっていたことがある。それはとても言葉がきたないということである。それでお母さんに、「言葉がきたないので、家で使う言葉も考えてほしい」とお願いしてしまった。その時にはお母さんから、何も言われなかった。しかし、次に担任した自閉傾向の子どもも言葉がきたなかった。

子供の中にはテレビや日常の友達との会話から使って欲しくないような言葉を選んで覚えたり使ったりする傾向があるのかもしれない。

母親を責めるような言い方をして申し訳なかったと思っている。

 

A君から教えてもらったこと

 A君以前にも自閉傾向のあるお子さんの担任をしたことがある。しかし、自閉傾向のある子供は、こういった特性があるとレッテルを貼ってしまうことは非常に危険であると感じることができた。教員にとって、症状の名前よりもその子がどのような特性があるのか、その特性を伸ばすためにはどうしたら良いのか考える必要があると教えてもらったように思う。

 また、保護者との連携も必要である。共通の目標に向けて役割分担が必要である。車の両輪とはよくいったものである。