コジマジックさんが向き合った我が子の発達障害「できないのではなくて、やり方を知らないだけ」〈AERA〉

コジマジックさんが向き合った我が子の発達障害「できないのではなくて、やり方を知らないだけ」〈AERA

 

 この記事を読んで小さい頃のことを思い出した。小学校の時は絵を描くことがとても苦手だった。描くこと自体は嫌いではなかったが、曲線が嫌いだった。木を描こうと思うと、「葉っぱを一枚一枚どうやって書いたらよいだろう」建物を描く時には「瓦一枚一枚描くにはどうしたらいいだろう」と悩んでいる間に、描く時間が終わってしまい、最後はくしゃくしゃに描いて終わっていた。

さらに一番自分を苦しめたのは、一生懸命に描いても「本物と同じようには描けない」ということだった。

 

しかし、転機は中学校であった。写生大会の時、「事前に四角い箱の描き方」や「壁は少し色を変えて塗る。」「建物の大きさは、指を使って大体の大きさを測る。」などのやり方を教えてもらった。3階建ての校舎だったのでほとんどが直線。描くのもすごく楽だったことを思い出す。結果は特選。(しかし、写生大会は特選だったが、それ以外の技能が不十分だったために5段階評価の3だった)

 

 他にも整理整頓が全くできなかった。4月に買ってもらった色鉛筆は夏休みには全色揃っていないことの方が多かった。教員になってからも机の上には書類や教科書が出されたままになっていた。結婚してからは妻が整頓してくれた。妻がどこに入れたらよいのか決めてくれたことが大きい。さらに白いテープに品物の名前を書いておくのも整頓に役立った。もっと早くからやっていれば持ち物が迷子になることもなかっただろう。

 

 どのように適切な支援を考えるのか。普通学級や支援学級の担任をしている時にも試行錯誤の毎日だった。しかし、適切な支援方法を考えることは特別支援学級の担任の腕の見せどころである。しかし、それがうまくいかないことが多い。日頃の行動を見ていて、適切な支援を行うのだが、それが簡単ではない。