東日本大震災の思い出2

東日本大震災の思い出2

防災学習

 私が勤めていた小学校では東日本大震災以前から防災のための授業が行われていた。6年生の総合的学習の時間で防災について学習していた。しかし、東日本大震災以降実際に被害地に行った消防隊の人から話を聞いたりした。YouTube動画については刺激の強い動画も多く、子供に見せるには配慮が必要だった。

震災前は避難訓練というと朝の会で子供たちに地震がきたら、喋らずに机の下に入って頭を守ること。「教室で授業中に地震がきた」という設定で担任が指示をして運動場へ避難するという形だった。

しかし、震災後、「てんでんこ」という言葉が脚光を浴びるようになった。避難訓練も休憩時間子供達がバラバラに遊んでいる時に地震が発生したという想定に変わった。学校にいる間に地震が発生するのは授業中とは限らない。教員がいない場合もある。そのために、子供が判断して避難しなければならない。また避難する場所が校舎の南と北の2箇所になった。避難場所ごとに避難してきた子供の確認をし、さらにトランシーバーで連絡し合って安否確認を行なった。

手間はかかったが、実際に必要な避難訓練ができた。

学芸会

また、次の年6年生の学芸会は東日本大震災の悲惨さと人々の復興への願いを6年生の先生が台本を作り演じた。一緒にやっていた先生がどうしてもやりたいと願った。作った原稿を被災地の学校に送り、学芸会で演じることを伝え、直すところがないか点検していただいた。その先生の熱意には頭が下がるばかりだった。自分は同じ6年の主任として応援や演技指導を行なった。

練習が進んでいくと指導するという立場から演技を見る立場に変わっていった。そして最初に感動することができた。この被災地の人たちに贈りたいという想いは演じた子供たちも同じだったと思う。