東日本大震災の思い出1

東日本大震災の思い出1

 最初にお断りしておく。私の住んでいるところは、中部地方であり東日本大震災の被害はなかった。地震の直接の被害よりもテレビや新聞を見ての心の傷の方が大きかった。しかし、所詮直接被害に遭われた方々の心の傷とは比べ物にならない。このブログを読まれて不愉快になられた方があれば先に謝っておく

3月になると東日本大震災の特集が見られるようになる。そして今年は節目となる10年が経とうとしている。

私はこの震災の時6年生の担任をしていた。理科室で半分授業半分卒業式に向けての心構えなど話していた。暖かく春を思わせるような11日の午後だった。この年の6年生は大きな問題もなく、卒業式を楽しみにしていた。

今でもはっきりと覚えていることが、教室が大きな船のようにゆっくりと揺れていたことである。最初は何か目眩の兆候ではないかと思った。教室を大男が揺すっているという感じがした。ただ東北であのような大震災が発生しているとは全く思わなかった。

授業が終わり職員室に戻ると多くの先生がテレビを見ている。そのテレビには東北の惨状が映し出されていた。しかし、その時は津波が来る前だった。ただ私の住んでいる地域でも津波警報が出された。テレビの右下に映されていた日本地図の太平洋側は警報区域として真っ赤になっていた。

学校は海岸線から直線で2キロほどの位置にあったので、子供たちはしばらく学校で待機となった。3階の教室に分散して避難していた。下を見るといつもと同じように車は走っているし、先に帰った低学年の子供たちが自転車に乗って道路を走っている。いつもと変わらない日常があった。

やることもなくテレビを見ていると津波による惨状が映し出された。ここまでの地震津波の惨状を目の当たりにしたのは初めてであった。関東以北東北地方を面として大きな被害があった。

10年経った今でも東日本大震災の余震があるというのは、「地球ができて46億年という時間から見れば10年というのは一瞬のことである」言葉では分かっていてもショックである。