嫌だは嫌だ

嫌だは嫌だ

 昔の教師の辞書に「嫌だ」とか「やりたくない」と言う言葉はなかった。特別支援学級の担任をしているときには、時々聞くことがあったが、普通学級の担任をしていた時には授業中ほとんど聞くことはなかった。

 しかし、この頃は普通学級の子どもからも聞くようになった。昔だったら「やりたくないなら教室から出て行きなさい」と言えたが、今では本当に教室から出て行ってしまう子を引き止めることになる。

 どうして「嫌だ」と言う言葉が聞かれるようになってしまったのだろう。少子化の影響だろうか。

 家庭でわがままいっぱい育てられた子が入学する。観たいテレビが重なっても父親の方が我慢することの方が多い。「嫌だ」という言葉が力を持っている。何か有れば親の方が引いてしまう。がんこ親父という言葉の方が死語になりつつある。

 教師と子どもとの関係の変化もある。

 子どもにとって先生は下僕以上友達以下という存在になってしまった。教師の中に「子どもがやりたいと言っているから」ということを恥ずかしげもなく言ってくる人もいる。「教師と子供は平等」と考えている人もいる。子どもが「やりたくない」と言える状況を教室自ら作っている。

 

 わたしの場合、子どもが「嫌だ」と言った場合には、「どうして」と聞くようにしている。9割は子どものわがままだが、1割くらいは体の不調など考慮すべき理由のこともある。ここで無理をさせると、後から保護者に謝罪に行くことにもなってしまう。

 

 「嫌だ」ということが100%悪いこととは言えないことも事実。友達に自分の意志とは違うことを強要された場合には「嫌だ」と言えることも必要。しかし、学校の中では必要のない言葉だ。