部活の功と罪3

先日のNHKの番組では、「アメリカでは親の収入と子どもの体力が比例してきている」と言うことだった。言葉を変えれば、日本では「学校での部活では親の収入とは関係なく平等に行われている」と言いたいのだろうか。ここでも十分な考察なしに学校で行っている部活の礼賛が行われている。

 

 靴やユニフォームの進化

 小学校のバスケ部でもほとんどの子どもがバスケットシューズを履いている。顧問の教師も怪我防止の観点からバスケットシューズは容認している。サッカー部では普通の運動靴を履いてきている子供などいない。剣道部でも防具などは全て個人持ちである。子どもの中ではより新しいもの、カッコいい物に競走でなって行く。金持ちの家はシューズも最新の物を使っている。

 

 スポーツクラブの存在

 学校の部活だけでは強くはなれない。今ではスタメンに選ばれるためにはスポーツクラブに入ることが重要になって来る。指導者だって、競技経験がない先生が教えるよりはよほど効率的である。このような子ども達が部活の中にいればチーム自体何もしなくても強くなる。中には学校の部活にはほとんど参加しないで試合だけ出て活躍するといった子供も少なくない。学校教育の一環として行っているのに、ほとんど練習に参加していない子どもが選手に選ばれまじめに学校の部活に参加している子供は試合に出ることができない。

 スポーツクラブに行かせるには、費用だけでなく親の送り迎えは必要である。子どもの能力よりも子どもの環境の方が優先されてしまう。

 

 本当に学校で部活をやる必要があるのかもう一度考えて直してほしい。