いまだに無くならない教員免許更新制度

いまだに無くならない教員免許更新制度

 

もうすぐ、夏休みが来る。教員免許更新のための受講が行われる季節でもある。コロナ禍で、在宅の看護師免許を持っている人が現場に復帰したという記事があった。看護師免許は一時家庭に入っても簡単に現場に復帰できるようである。しかし、医療については日進月歩のはず。どうして看護師の免許は更新制度がないのに、教員はあるのか納得がいかない。

 しかし、教員の場合はどうなるだろう。

 教員免許更新制度は廃止が一番だと思うが、せめてこの2点は改善してほしい。

 1原則無料にすること(実費の負担は仕方がないと思うが)

 2夏休みなど、学校で講習を受けることを認めること(アナウンスをすること)

 

1 無料にすること

 オンライン講座でも三万円ほどかかる。この費用は自腹になる。特に教員免許を取得していても、家庭に一旦入ってしまった人には大きな負担になる。せめてオンライン講座くらいは無料にして欲しい。

 さらに大学まで1週間通って講座を受けると交通費まで必要になる。遠距離の場合は宿泊も考えないといけない。

 中には市の教育委員会で講習の講座を開いているところがあった。講座の選択肢は狭いかもしれないが必修の研修だけでも行えるはず。

 

2 夏休みなど、学校で講習を受けることを認めること(アナウンスをすること)

 学校によっては、勤務時間中にオンラインで講座を受けていると個人的なことなので学校ではやらないでほしいと言われているらしい。会議と会議の間の時間や昼食を食べている間などは認めるべきだと思う。教員は自宅での研修も認められているので、免許更新も当然認められるべきである。

研修として認められることを、正式に文科省教育委員会は共通理解としてアナウンスすべきである

 

教員免許は65歳まで有効。再任用制度が終わる歳である。64歳の時には更新するかどうか決めなければならない。家計を考えると非常勤でも続けていきたいとは思うが、体が続くかどうか。さらに金銭的な負担も考えもの。

 

コロナ禍で見えてきたこと やらなくてもいいことが多い

コロナ禍で見えてきたこと やらなくてもいいことが多い

 

特別支援発表会

 コロナ禍で学校の行事もかなり中止や縮小がなされた。しかし、この行事をやらなかったから子供の(心の)成長が見られなかったということがどのくらいあっただろうか。

 私の勤めている市では2月に特別支援学校や学級に通っている子供たちの発表会が市民ホールで行われていた。例年3学期に入ると授業よりも発表会の練習に力を入れる。特に近くの学校と一緒に出るので合同練習も必要だった。合わせて作品の展示もあるので、授業に影響が出ることもあった。インフルエンザで学級閉鎖もある時期だったので、時期を見直してほしいなどの要望があった。

 年々特別支援学級に入る子供が増えてきたこともあり、千人以上入るホールがいっぱいになってしまった。

 それが昨年のコロナ禍で中止になった。簡単に中止が決まった。作品展も行われない。今まで発表する機会を作るという目的はどこに行ってしまったのだろう。

 

卒業式での1年生の参加

 卒業式も随分形が変わった。今までは1年生の児童も参加していた。厳粛な雰囲気で行いたいという矛盾もあった。式の間、1年生も体を動かすこともできない。時にはお漏らしもあり、わからないように処理することも。6年生の担任も忙しいが、それ以上に1年生の担任は子供の様子を見ていなければいけないので、式の間気楽にすることはできなかった。

 それが、コロナのために6年生とその保護者のみの参加になった。今までだったら、1年生でも毎日練習があったが、式に参加しなくてすむようになったので、授業も行うことができた。

 全学年で卒業を祝うという目的はどこへ行ってしまったのだろう。

 

 ブラックと言われているが、行事の見直しで少しでの教員の負担を減らすことが必要だろう。実際に無駄なことが多いと思う。

 

 

教員の夏休みの過ごし方

教員の夏休みの過ごし方。

 

あと12日で夏休みに入る。今年の1学期は去年ほどではなかったが、短く感じる。年々短く感じるようになった。特に担任もなく運動会のような行事も行われなくなり、行事で季節を感じることも少なくなった。

例年なら、職員室でも夏休みの予定についての話題が出てくるのだが、昨年からほとんどそのような話題は出てこない。研修も中止かズームでの開催となっている。

 

その中でどのように夏休みを過ごしたら良いだろうか。家庭によっては食事の準備やゲームばかりしているのではないか、教員でも子供の世話をしなければいけないので憂鬱という所も少なくないだろう。

 

夏休みの40日間も気がつけばあっという間に終わってしまう。後な何もできなかったという反省の気持ちだけ。これは教員になってからも毎年感じる。今年の夏休みは有意義に過ごすことができたと言える年はなかなかない。

 

昨年度からお盆の10日間は学校に電話しても取らないということになった。学校専用の携帯電話を教頭が持っていて、何かあればそこに電話することになる。もちろん来て仕事をしたい教員は構わない。折角休日出勤しても保護者からの電話のために、自分の考えていた仕事ができなくなるということはない。

 

昨年の夏休みは2週間ほどしかなかったが、今年は40日しっかりある。ただ、夏休みの間に祝日が2日入っていることが気に入らない。今年の夏休みもどこへも行けそうにないので読書でもしようかと思っている。

 

今年の夏はNetflixにハマるのも1つかと考えている。色々観ようと思ってもまだ観ていない作品も多い。外出も憚られるし、他に見たいと思う番組も今年は特に期待できない。「はたらく細胞」や「キングダム」などの作品を改めて見直すのもいいだろう。

 

 日頃忙しくてなかなかまとまった時間は取れない。現職の頃は夏休みに入るまでに成績処理、会計報告、夏休み用の通信の作成などしなければいけなかった。夏休みに入れば少し気楽にはなったが、研修もいくつかあった。定年を過ぎ、逆にそれらの忙しさが懐かしい。

懇談会の日程について

 

 私が勤めている小学校では、今日から3日間の予定で個別懇談会(保護者会)が行われる。40人を3で割れば、1日当たり13人程になる。しかし、決めていた時刻に来なかったことや、直前の時刻の変更など珍しくない。

 どのようにして、懇談会や家庭訪問の時刻が決まるのかご存知だろうか。

 

懇談会の日程を決める

 まず、希望調査を行う。都合の悪い時刻を聞く。「都合が悪い」というのもかなり幅がある。仕事や保育園のお迎えなどは仕方ないと言えるが、少し無理をすれば何とかなる場合もある。近年5時過ぎの時刻を指定してくる保護者も多い。5時を過ぎれば勤務時間が終わっているということは理解されていない。またピンポイントで時刻を指定してくる保護者もいる。

 

変更するのは簡単なことじゃない

 次に兄弟関係の調整を行う。例えば、上の子の時刻を見て、それ程時間がずれないように下の子の時刻を決めていく。その後懇談会が多少延びてもいいように間隔を空けながらその他の子どもの時刻を決めていく。

 最後に決まった時刻をお知らせして終わり。

 昔は懇談会の時刻の一覧表を学級通信に載せたこともあったが、今では無理。一覧表を見て懇談会の時刻を変更しようとする保護者がいるから。それでも無理矢理変更してくる保護者もいる。何とか空いている時間に入れる。10人ほど連続で懇談会を行うというのも珍しくない。

 

ドタキャン

 給食費が未納だったり、行動面で粗暴なところがあったりするとドタキャンという例もある。連絡がなければ担任は帰ることもできない。

 また、次の人が待っているのに、話を長引かせる保護者。最初に長引いてしまうということは、途中の保護者の時間を減らすことになる。

 懇談会の途中で廊下を見ると、次の保護者が来ている。何とか話を切り上げて次の人に入ってもらおうと思っているとなかなか終わらない。

  

 

教員の辞書に「定時退勤」はない

教員の辞書に「定時退勤」はない

 

 今から約40年前、教員になった頃は、全く勤務時間という概念はなかった。朝職員の打ち合わせまでに学校に着き、帰りは先輩の先生が「帰るぞ」と言えば一緒に帰ったくらい。それから喫茶店で1時間ぐらいコーヒーを飲みながら、少年サンデーを読んで帰るというのが定番だった。それでも家に7時には着いていた。

 土曜日は半日勤務。いわゆる半ドン。3時間授業を行い子供が帰ると昼食を食べに出かける。2時間ほどかけて昼食を食べて戻ってくる。直接家に帰ることも多かった。

 夏休みも、特に仕事がなければ10時くらいに学校に着き、12時前には昼食に行く。2時近くに戻り、机の上を片付けて3時には帰るというパターンだった。

 そのころは、担任する子供のことだけ考えていればよかった。保護者との関係も今のようにギスギスした感じではなかった。

 いつ頃からか、「○○小学校は帰りが遅い」などという話が聞かれるようになった。しかし、その頃は一部の教員が遅くまで残って仕事というよりも、一部の教員が話をしていて遅くなるという感じだった。早く帰る教員もいたし、早く帰る(6時くらい)ことは可能だった。(その頃でも、勤務時間という概念はなかった)

 中学校勤務になると、帰りが遅くなるということはその頃でも常識だった。部活動指導、生徒指導、進路指導など子供との対応が小学校以上に重要になるので仕方ないという思いだった。それでもその頃は、あまりブラックとは言われなかった。きちんと役割分担がなされていたように思う。

 一つは教科担任制のため、担任を持っていない教員が数名いて、その教員が学年会計などの担当をしていた。

 

教員のブラック化と言われるようになったのはいつからだろう。10年ほど前までは、保護者との関係に問題はなかったように思われる。「モンスターペアレント」という言葉が聞かれるようになったぐらいからではないだろうか。

授業が終わって、ほっとしているところに保護者(モンスターペアレント)からの苦情の電話、この電話への対応は精神的にも辛い。

また、給食費の未払いの問題もこの頃から顕著になってきた。「集金を早く集めてください」という教頭と「○○までに払います」と言って払わない保護者。こんなところからブラック化が始まったように思う。

職員を増やしたら教員の長時間労働は無くなるのか3

職員を増やしたら教員の長時間労働は無くなるのか3

 

仕事を増やすボランティア

 教科を増やしたことも負担を増やしている。さらに教員のモチベーションも下げている。なぜなら、小学校では自分の体験したことのない教科を教えなければならないから。自分の場合理科が好きだったので、小学校の免許と中学校理科の免許を取った。

 中学校で理科を教えることにそれほど不安はなかった。しかし、小学校で国語をどうやって教えるのか、未だに物語文になると悩むことが多い。

 

 その中で外国語の授業が入ってきた。小学校で教える程度なら自分一人でも何とかなるのだが、問題はボランティアの方が来てくださること。熱心な方だったために、事前に打ち合わせを行い、必要なプリントやカードはこちらが作らなければならなかった。月に2回ほどの授業だったが、その度に打ち合わせと教材作成で3時間ほどかかってしまった。

 

補助金で帰れない

10年ほど前、理科支援員等配置事業というものがあった。理科の授業を支援するために大学生や退職した教員に来てもらい、賃金を払って実験の準備などしてもらうということだった。一見、実験の準備や理科準備室の片付け、整理などやってもらえたことでかなり楽になるはずだった。しかし、実態は人を集めること。知り合いを頼って声をかけてもらう。

 

何とか支援員をやってくれる人を見つけると、勤務日を決める。通勤費や賃金の予算が決まっているので計算が面倒。さらに、事業が終わればレポート作りが待っている。2学期のこれから忙しくなる時期と重なっている。これらの作業をするのは全て理科主任などの教員。

 

 自分が関わってきた補助金は他にも特別支援教育就学奨励費がある。支援学級にいる子供の学習に関わるものを補助しようとする事業である。保護者に頼んで学用品や衣類などその子にかかった領収書を出してもらう。そして支出調書にまとめる。さらに学校で使ったものは教員がまとめる。一人当たりの金額が決まっているので、少しでも多くもらえるように、学校で使ってものはできるだけ書くようにする。

 この補助金の趣旨は良いと思うが、教員の負担がかなり大きい。この作業ができるのが授業後しかない。

 

 いいアイデアだと思い、文科省教育委員会補助金を出しているのだろう。しかし、そのことによって教員の負担がさらに大きくなるということまで考えが及んでいるのだろうか。

 

職員を増やしたら教員の長時間労働は無くなるのか

職員を増やしたら教員の長時間労働は無くなるのか

 

 職員を増やしたら教員の長時間労働は無くなるのか。自分の考えはノーである。なぜなら、教員の思いとして子どものためにできることをしたいという思いが強いからである。

しかし、気持ちの上ではかなり楽になる。今までやろうと思ってできなかったことを子供のためにできるようになること。

 例えば、時間があれば、ノートに朱を入れることや作文を丁寧に見たりすることができる。

 

教育アシスタントは増えたが

 教育アシスタントが増え、支援が必要な子供の対応などできるようになった。しかし勤務している学校の状況は十分に教員の仕事量を減らしているとは言えない。いつも教室から出て行ってしまう子供の後をアシスタントの先生が付いている。事故などの心配はしなくても良いが全体的な仕事の量は減らない。

 

仕事を増やす教員

 私が教員になった40年前には、学級通信を出すということはなかった。1ヶ月に1度学年で月の予定など書いて出せばよかった。それがいつの間にか学級通信を出す教員が増えてしまった。内容的には、それほど必要だとは思わないが、出している方が保護者の受けが良い。

 これでもレイアウトを考え、何を書くのか決め、記事を書く。必要なイラストをネットで探し入れる。それを印刷すれば2時間ほどかかってしまう。

 

子供と遊ぶのはいい先生?

 また、放課になると子供と遊ぶ教員も特に若い教員で多い。一緒に遊ぶことを勧める校長や教頭も多い。それで汗だくになって職員室に戻ってくる。確かに子供は喜ぶとは思うが、次の授業の準備は違う時間にやらなければならない。また、一度やってしまうと子供からのリクエストが無くならない。

 

学校のスタッフはかなり多くなった。職員室の机が足りなくなるくらいである。しかし、スタッフが増えたからといって教員のブラック化は無くならないと思っている。教員でなければできないことに特化すること。問題は勤務時間だけの問題ではない。今までなんでも教員が行うという感覚を見直すことが必要ではないだろうか。