絵本の話(11ぴきのねことのらねこぐんだん)

絵本の話(11ぴきのねことのらねこぐんだん)

 

 家で猫を飼っているので、どちらも興味深く読むことができた。

特に「11ぴきのねこ」シリーズは何度も読み聞かせをしている。昔からある絵本なのでほとんどの人が一度は読んだことがあると思う。

最初の湖に魚を取りに行く話だけは、少し納得ができない部分もあった。どうして平和に暮らしていた巨大魚が食べられてしまわなければいけないのか。その後は怪獣「ウヒアハ」が出てきたり、巨大なアホウドリが出てきたり、悪いことを考えるのだが、その度に大きなしっぺ返し。11ぴきの猫たちの悪戯は失敗してしまう。そして最後の落ち。一つ成長した猫たちがいる。

 「のらねこぐんだん」シリーズはワンパターン的なことをもあるが、それでいて面白い。こちらの方が新しい分子供たちに受け入れられるようである。最初の悪戯をする場面。途中ドッカーンと爆発する場面ではどの子もびっくりしたような顔をして聞いている。アイスクリーム工場や寿司屋など子供たちが好きなものがたくさん出てくる。一生懸命に知恵を働かせるのだが、そこで大きな失敗をするのが「のらねこ軍団」そして最後には反省するところも可愛い。

 文才がないためにうまくこの絵本の面白いところを伝えることができないが、子供に読み聞かせをしても後悔することは絶対にないと保証することができる。

 

閑話休題

 我が家にも猫がいる。先代のキジトラは少し抜けていたが誰が来ても出てきて膝の上に乗ったりした。ソファーで寝ているとお腹の上に乗ってくることもあった。きっとこの二つのシリーズに出てくる猫はキジトラの猫なんだろうなと思った。

教科書に名前を書くこと

名前を書くこと

 

 2年生くらいの子供の教科書やノートを見てみると自分で書いたものをよく見かける。名前ペンの先が潰れてしまい、なんて書いてあるのか分からなかったり名前を書く欄から大きくはみ出してしまったりしている名前もある。子供の教科書やノート、持ち物などに名前を書くときにどのようにして書いているだろうか。わたしはお父さんやお母さんが心を込めて書くことをぜひお願いしたい。

 子供が産まれた時に姓名判断や有名人など大人になったときのことを考えて名前をつけた保護者も多いはず。私の場合も産まれてから考えて届け出ギリギリの2週間目で市役所へ行った。途中姓名判断のアプリを貸してくれた先生がいたが、考えた名前全てダメ出しされてしまった。そんな思い出がある。

 子供が名前を見るときはどんな時だろうか。

 一つ目はテストなどで名前を書くときにどんな時だったか忘れてしまった時。

自分の名前を漢字でどのように書くのか忘れてしまうのは低学年の子供ではよくあること。その時に大人が丁寧に書いた字を見れば、名前に使われている漢字を思い出すこともできる。当然子供は手本とする字以上の字を書くことはできない。

 二つ目は提出されたノートや課題を返すとき

 子供たちが手分けして配ることも多い。字が丁寧に書かれていなければ誰のノートなのか名前を見ても分からないということもある。

 

 さらに、大人が丁寧に名前を書くことは、物を大切に使うことや自己肯定感を高めることにつながる。

 大人が丁寧に書いた自分の名前を見て子供はどう思うだろうか。さらに名前の由来など話しながら名前を書けば、名前に込められた思いを知る機会にもなるだろう。そして教科書やノートの名前を見る度に保護者の思いを考えるだろう。

 

 ぜひ、保護者の方に丁寧に名前を書いてほしい。

絵本の魅力 100万回生きたネコ

絵本の魅力 100万回生きたネコ

 佐野洋子さん「100万回生きたねこ」については、日本人なら誰でも知っていると言っても過言ではないだろう。

 2年ほど前特別支援の担任をしているときに、一度子供達に読み聞かせをした。子供たちは本当に読み聞かせが好きである。静かに絵本を見つめる目はいつまでも大切にしたい。そして名作というのは何歳で読んでも新しい発見があることを感じた。実はその時に心に響くものがあり、子供たちの前だったが泣きそうになった。

前半部分の何度も死んでしまう場面は何とか普通に読むことができたが、白猫と世帯をもち子供が産まれそして白猫が死んでしまう。今まで生きることに何も考えていなかった猫が初めて泣く。初めて生きてほしいと思ったのに、死を受け入れなければならない。今まで読んだ時には、猫が最後死んでしまう場面でも普通に読むことができたのに、自分の現状と重ねて読んでしまったから、その前に病気を患い生きるということを意識したからかもしれない。

年に1、2度読んでいて、心がいっぱいになってしまう絵本がある。年齢や経験を積むとまた新鮮な気持ちになる。もう一度読んでしまったからと言わず、絵本をもう一度読み直してみたらどうでしょう。きっと新しい発見があるはずです。

子供一人に1台パソコン

子供一人に1台パソコン

 

 文科省から子供一人に1台パソコン(タブレット)が貸与されるという話があった。しかし、その詳細がよくわからない。

 

 1 機材は何を使うのか

 WindowsなのかAndroidなのか、それともiPadなのか。このことは教師サイドにも問題がある。学校に導入されているパソコンは大きく分けて2種類。職員の事務、教材作成用のパソコンと授業で使うパソコン。

自分の勤めている市ではほとんどがWindows。そのためにWindowsのパソコンが導入されれば、ほとんどの教員が簡単な使い方の指導ならすることができる。しかしタブレットでは学習で使うアプリが少ないという問題がある。

Androidのパソコン(タブレット)については、馴染みがないので最初から分からないと言って手を出さない教員も出てくる。そうすると保守点検などの日々の管理も一部の教員が行うことになり負担が大きくなるだろう。

iPadならどうかというと、とにかく導入費用が高い。WindowsAndroidタブレットなら中華製のものも含めてかなり安く導入することができる。しかし、iPadなら一台3万以上。

 

2 保守点検は誰が行うのか

 昔パソコンは壊れる前提で扱ってきた。必ずデータのバックアップは取るようにしていたし、壊れた時の対応についてもOSを新しくするなどの対応をしていた。しかし、パソコンが進歩し、ほとんど壊れることもなくバックアップは勝手にやってくれるようになった。逆に何かトラブルがあった時には、すぐに購入したところへ持っていく。またはサービスセンターへ電話して対応してもらうことになる。

 では学校に導入された何百台ものパソコン(タブレット)の保守を誰がやるのだろうか。また、それぞれのアプリのバージョンアップもその度に学校に持って来させるのか。タブレットなら乱暴に扱って落としてしまった場合、誰が保証するのか。

 

3 セキュリティの問題

  今まで学校に導入されたパソコンではNHKの教材は見ることができてもYouTubeは見ることができなかった。またアマゾンや楽天にも繋がらない。もちろんアダルトサイトなど完全にシャットアウト。それだけではなく、気に入った(無料の)アプリも入れることができない。(先回紹介したアプリは自分のiPadに導入したもの)

 

 確かにこれからの時代、デジタルデバイドが扱えることは必須になってくると思う。しかし、それが一部の人の利権に繋がって、正しい洗濯が行われないということのないようにしたい。

 

 

教師が変われば子供が変わる

教師が変われば子供が変わる

先回子供に「自閉症」などのレッテルを貼らないということを書いた。しかし、「忘れ物が多い」「掃除をしっかりやらない」などのレッテルを貼ってしまうことがある。

私自身1年の担任をしているときに「こいつはろくな大人にならない」といったレッテルを付けてしまったことがある。しかし、その子の一言で自分の見る目が変わった。そうすると今まで悪いところしか見えなかったのに、それからはその子の良いところばかり目立つようになった。

当然声の掛け方などが変わってくる。その子から変わるチャンスをもらったことになる。

 

現在日本語教室を担当している。教室に来ている子の担任から「忘れ物が多い」という話を聞いた。確かに連絡帳も書いている。

しかし、その子に「算数」の字を見せた時に「さんすう」と読むことができなかった。3年生の子供だったが1年生の漢字を練習しているところだった。当然「算数」の漢字を見て同じように見て画像として写すことはできても、何を指しているのか理解できなかった。当然家に帰ってから連絡帳を見ることもなかった。

そこで日本語教室で連絡帳を書くことや教科名の読み方について学習した。また指導員の先生からは、習字道具などは「絵カード」を用意して担任の先生に連絡帳に挟んでもらうようにすると良いということも聞いた。

 

「○○ができない」というレッテルは教員でなくても貼ることはできる。しかし、教師に期待されているのは、できないことをできるようにすることではないだろうか。「できない」のはどうしてだろうか、「できる」ようにするにはどうしたら良いだろうか。さらにこの子の良いところを見つけるようにすることが大切である。

教員が変われば子供が変わっていくはずである。

子供を知ること

子供を知ること

 教員としてやらなければならないことの1つとして「子供を知る」ということがある。しかし本当に一人一人の子供のことを知っていると言えるだろうか。

 普通学級の担任をしているときには、もちろん知っていると思っていた。しかし、特別支援学級の担任をしていたときに、自分の自信は脆くも崩れ去った。それまでは「あの子は自閉症だから」とか「注意欠陥多動症だから仕方がない」など自分で勝手にレッテルを貼ってしまっていた。しかし、担任としてレッテルを貼ることがいかに無意味なのか考えるようになった。

 自閉症と診断されている子供でも、学習面で全く問題がなく学級のリーダーを任される子供もいれば全く言葉を出すことができない子供もいる。直前の予定変更があるとパニックになる子供もいれば、教室に入ることができない子供もいる。普通学級の担任をしているときには集団としてしか捉えていなかった。

 特別支援学級の定員は8名。普通学級の40名と比べると5分の1である。しかし、子供の違いは普通学級の数倍になるだろう。指導案を立てるときにも1時間の授業の中で一人一人の特性に合わせて子供がどのように学習を進めていくのか、どのような支援が必要なのか考えなければならない。学級に3名いれば指導案を3本考えなければならない。さらに関わり合いも考える必要がある。

 

 大切なことは

1 子供にレッテルを貼らない

 「彼は○○だから」などのレッテルを貼ると本来の特性を見間違えてしまうこともある。その子のことを見ることが大切

2 一人一人の子供を見る

 子供を高める方法は一人一人違っている。今日の授業で誰を高めるのか。そのために何ができるのか考える。

確かに難しいことだと思う。

 

正月の抱負について

正月の抱負について

 新しい年を迎えることができた。心筋梗塞をもっている自分にとってコロナに罹ることは、即重病化を意味する。離れて暮らす娘も年末には帰ってくることができなかった。一人で寂しい正月を迎えているかと思うと何とかしたくなる。

 ところで新年の抱負を今年は次のように決めた。

 1 読書

  昨年、一番感じたことは読書量の不足だった。漫画はキングダムを読み直してる。ネットはYouTubeなどかなり観ていた。しかし、紙の本はほとんど読むことができなかった。今年は年間で36冊(10日の1冊)読むことにした。

 2 ウォーキング

  体重がかなり増えてしまったこと、病気をしたこともあり筋肉量がかなり減ってしまったことなど、これからの健康を考えウォーキングをする。1日3000m(スマホでの計測)

 3 写真を撮る

  ニコンのデジ1を持っている。昨年度は担任している子供もいなかったために、ほとんど写真を撮ることができなかった。また撮りたいと思う場面でもカメラがないということもあった。今年度は1日1枚以上の写真を撮るということを自分に課したい。できればブログにもアップしていきたい。

 4 体重を5キロ減らす

  ウォーキングなど体を動かすこと、食事の量(カロリー)を減らすこと。かなりお腹の周りがダブついてきてしまった。健康のことを考えると5キロ減らしたい。

 5 ブログを書く

  毎日ブログをアップすること。昨年は葬式が年末に入ってしまいアップすることができなかった。さらに今まで書いてきたものの再編集(文章の再構成や写真を入れる)も進めていく。

 

 教員には新年が2回ある。暦通りの1月1日と新学期が始まる4月1日である。どちらかというと4月1日の方が担任する子供が変わるので新しい年という思いが強い。どちらかというと1月1日に新年の計画を立て、途中で挫折。その後4月1日に計画を立て直すということが続いている。